
『オーメン ザ・ファースト』は、1976年の名作ホラー『オーメン』の前日譚として誕生し、悪魔の子ダミアン誕生の“真実”に迫る意欲作である。本記事では、本作の基本情報から物語のあらすじ、衝撃的な結末やラストシーンの深層まで、ネタバレを含む形で丁寧に読み解いていく。
物語の核となるのは、教会が仕掛けた“恐怖で信仰を取り戻す”という倒錯的な陰謀。そして、マーガレットが生んだ双子——ダミアンとその姉妹——が象徴する“善と悪の二極性”である。また、旧作と異なる「ダミアンの母は山犬(ジャッカル)ではない」という新解釈は、シリーズの矛盾点を“再構築”によって補完する巧みな試みとして注目される。
さらに本作では、「出産と信仰支配」をテーマにフェミニズム的視点が色濃く描かれており、女性の身体性をめぐる問題も重層的に織り込まれている。マーガレットやカリタをはじめとした登場人物の行動分析を通して、ホラーにとどまらない思想的深みを見せている点も見逃せない。
1976年版とのリンクを示す演出や隠れた設定などのトリビアも満載で、ファンなら何度でも見返したくなる構成。記事の後半では、物語が示す“終わりではない未来”に目を向け、注目すべき続編予想も考察する。
『オーメン ザ・ファースト』の全体像を理解し、その裏にある意図や世界観の奥行きを把握するための完全解説を、ここにお届けします。
『オーメン ザ・ファースト』のネタバレ全解説と考察
チェックリスト
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『オーメン ザ・ファースト』は1976年版『オーメン』の前日譚として、悪魔の子ダミアン誕生の背景を描く
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舞台は1971年のローマで、教会が「信仰回復」の名のもとに悪を人為的に生み出す計画を進行
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主人公マーガレットは“器”として選ばれた存在で、双子を出産し女児と共に逃亡する
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教会の陰謀、女性の身体支配、信仰と母性の対立といった深い社会テーマが描かれる
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映画内には旧作との接続を意識したイースターエッグや象徴的演出が多数含まれる
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シリーズ神話の整合性を補いながら、続編への布石も巧みに散りばめられている
基本情報:作品概要とシリーズ位置づけ
項目 | 内容 |
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タイトル | オーメン ザ・ファースト |
原題 | The First Omen |
公開年 | 2024年 |
制作国 | アメリカ |
上映時間 | 119分 |
ジャンル | ホラー/オカルト/サスペンス |
監督 | アルカーシャ・スティーブンソン |
主演 | ネル・タイガー・フリー |
『オーメン ザ・ファースト』とはどんな映画か
『オーメン ザ・ファースト(The First Omen)』は、2024年に公開されたアメリカの超自然ホラー映画です。1976年に公開されたホラーの金字塔『オーメン』の前日譚(プリクエル)として制作され、シリーズの原点にある「悪魔の子ダミアン」の誕生にまつわる秘密を描いています。
監督はアルカーシャ・スティーブンソン。主演はネル・タイガー・フリーで、他にもソニア・ブラガ、ラルフ・アイネソン、ビル・ナイといった実力派俳優が出演。20世紀スタジオが配給し、Huluでの配信やブルーレイ/DVD販売も行われています。
舞台設定と時代背景について
物語の舞台は1971年のローマ。『オーメン』本編が描く1976年より5年前の出来事が中心です。カトリック教会と孤児院をめぐる陰謀が描かれ、当時の社会背景として若者の反宗教的運動や教会の影響力低下が物語の軸となっています。
『オーメン』シリーズとの関係
本作は、『オーメン』シリーズの“神話的再構築”を意図した作品とされています。従来作では断片的にしか語られなかったダミアンの誕生の真実や、「ジャッカルの母」の謎、教会の暗躍などに焦点を当て、世界観を深く掘り下げています。
とりわけ重要なのが、主人公マーガレットこそがダミアンの実母であるという新解釈です。この設定により、旧作との直接的な接続が生まれ、より重層的な物語構造になっています。
見どころと注目ポイント
注目すべきは、本作が単なるホラーにとどまらず、宗教的権力構造や女性の身体支配、狂信の危険性といった社会的テーマも盛り込んでいる点です。映像美や象徴表現も評価が高く、旧作への敬意と現代的な批評性のバランスが取れた作品として注目されました。
シリーズの根幹を揺るがす設定変更も含まれているため、旧作ファンも新規ファンも楽しめる構成となっています。
あらすじ:呪われた孤児院と始まりの物語

舞台はローマ、時代は1971年
物語の主人公は、アメリカからローマへやってきた若き修道女志願者・マーガレット・ダイノ。彼女はカトリック教会に忠誠を誓い、修道女になる準備の一環として、ローマ郊外の「ヴィザルデッリ孤児院」に赴任します。
しかし、そこはただの孤児院ではありませんでした。不可解な出来事や奇妙な言動の修道女たち、幻覚のようなヴィジョンがマーガレットを徐々に追い詰めていきます。
少女カリタとの出会い
孤児院で彼女が出会ったのが、「悪魔の子」として孤立していた少女・カリタ(コードネーム:シャナナ14)。他の子どもたちから恐れられ、預かる修道女たちですらカリタを厄介者として扱っていました。
マーガレットは、自分も孤児として育った経験からカリタに深く共感し、心を通わせようとします。しかし、それをきっかけに彼女はさらに恐ろしい真実に近づいていくことになります。
教会に隠された計画の正体
教会内の一部秘密組織が進めていたのは、「アンチキリスト=悪魔の子を人工的に生み出す計画」でした。信仰離れが進む世界を再び神に振り向かせるため、「制御可能な絶対的悪」を作り出そうとしていたのです。
マーガレットは司祭ブレナンの助けを得て、その陰謀と自らの出生にまつわる衝撃の真実に直面します。
マーガレット自身が“選ばれた器”だった
物語が進むにつれ、マーガレットは自分が実は「シャナナ5」と呼ばれる存在であり、悪魔の子を宿す“選ばれた器”として育てられていたことを知ります。彼女は過去に記憶を消され、意識を奪われたまま儀式に巻き込まれていたのです。
この事実は、彼女にとって信仰と自己否定の間で揺れる大きな試練となり、物語の根幹を大きく動かしていくことになります。
命がけの出産と、逃亡の始まり
出産当日、マーガレットは双子を産みます。一人は男児=ダミアン、もう一人は女児=その双子の妹です。教会はダミアンだけを取り上げ、外交官ロバート・ソーン夫妻に託す計画を実行。これが1976年の『オーメン』の冒頭に繋がります。
一方、マーガレットと女児は追っ手から逃れ、カリタと共に雪深い山奥へと逃亡。「ダミアンが動き出した」というブレナンの再登場により、物語はさらなる続編への予感を残して幕を閉じます。
このように、本作のあらすじは“悪の誕生”だけでなく、“母としての抵抗”と“信仰の崩壊”を含む複雑な構造を持ったストーリーとなっています。ホラーでありながら、思想的・心理的な要素にも富んだ内容が評価されている理由の一つです。
結末:母と子の選択がもたらす余波

ダミアン誕生の瞬間が描かれる
物語のクライマックスでは、主人公マーガレットが双子の赤ん坊を出産します。男児が後の“ダミアン”、そしてもう一人は女児であり、シリーズ初となる「双子設定」がここで明かされます。
出生のタイミングは6月6日午前6時で、これは“666”――聖書における「獣の数字」を象徴しています。この演出は単なるオマージュにとどまらず、本作がシリーズの“原点”であることを強く印象づける仕掛けです。
教会による奪取と偽装の構図
出産後、教会側は男児=ダミアンだけを取り上げ、外交官ロバート・ソーン夫妻に「死産した実子の代わり」として極秘裏に引き渡します。この偽装が、1976年版『オーメン』の冒頭につながる重要なポイントです。
一方、女児は不要な存在とされ処分されそうになりますが、マーガレットの抵抗により奪還されます。ここで彼女は、自らが悪魔の器でありながらも「母として子を守る」選択をします。
母性と信仰の最終的な決裂
マーガレットは自分を騙していたローレンス枢機卿を短剣で刺殺します。これは単なる復讐ではなく、権威と狂信の象徴を否定する行為として強い意味を持っています。
しかし、信頼していた修道女ルスに裏切られ、マーガレットは刺されてしまいます。教会は全てを隠蔽するため孤児院に放火。過去作で「資料が火事で焼失した」とされた伏線が、ここで回収されます。
生存と逃亡が示す新たな可能性
炎の中から、マーガレット、カリタ、そして女児が生き延びていたことが終盤で明かされます。3人は人里離れた山奥で暮らし始め、教会の手から逃れていました。
ラストには再登場したブレナン神父が、ダミアンの存在が再び世界に脅威をもたらし始めたことを告げます。この一言が、「物語はまだ終わっていない」という緊張感と、続編への明確な布石となっています。
まとめ:選択は終わりではなく始まり
母としてのマーガレットの選択は、世界を救う決断ではなく、「悪を生み、そして見送った者の苦悩」として描かれます。そして女児の存在が「善の希望」になるか否かは、未来に委ねられます。
この結末は、絶望と希望が共存する構造で、シリーズの神話をより深く、より重く再構築した印象的なラストです。
登場人物と物語構造の分析

本作『オーメン ザ・ファースト』に登場する主要キャラクターたちは、それぞれの信念、思想背景、そして象徴性を通じて、物語全体の深層構造に貢献しています。以下では各キャラクターの行動、動機、思想をまとめ、作品のテーマである「信仰と支配」「自由意思と母性」にどのように関わるかを考察します。
マーガレット・ダイノ:母性と信仰に揺れる主人公
内面と行動の軌跡
修道女を目指して孤児院に赴任したマーガレットは、自身が「悪魔の子の器(シャナナ5)」として選ばれていたという衝撃的な真実に直面します。しかし彼女は教会の支配に屈せず、双子を出産し、女児を守るために命懸けの行動に出ます。
意志と象徴性
マーガレットの行動には、「器」ではなく「母」として生きる決意が込められています。彼女は支配から逃れ、自由意思を選び抜いた“現代女性の象徴”でもあります。
カリタ(シャナナ14):道具から人間への変貌
成長のプロセス
孤児院で"悪魔の子"と忌避されていたカリタは、予備の器として生きてきました。マーガレットとの出会いにより自己を取り戻し、ラストでは炎の中から母子を救出するという行動で、自身の価値を証明します。
象徴と希望
彼女の変化は"道具から人間へ"というテーマを象徴しており、シリーズにおける“未来の善の可能性”を担うキャラクターとして描かれています。
ブレナン神父:良心に抗う預言者
矛盾と苦悩
教会の陰謀を知りながらも止められなかった彼は、マーガレットに真実を伝え逃亡を助けます。その存在は旧作ともリンクし、観客にとっての“語り部”の役割を果たします。
信仰の対極
ブレナンは制度に従うだけではなく、"個人の良心"を重んじる聖職者として、正義とは何かを問い続ける人物です。
ローレンス枢機卿:制度化された悪の体現者
行動と理念
彼はアンチキリスト誕生計画を率いる教会上層部の中心人物であり、マーガレットを器として育成し、利用します。その狂信的な使命感は“悪を用いて善を成す”という倒錯した倫理観に基づいています。
権威と支配
ローレンスのキャラクターは、"権威による個人支配"を象徴し、教会という巨大組織の歪みを体現する存在として物語に緊張感をもたらします。
ルス:裏切りによって信仰の危うさを示す者
行動と構造
ルスはマーガレットの友人を装って近づき、最終的には彼女を裏切り刺します。この行為は、彼女自身の悪意というよりは、"信仰への完全な服従"によるものです。
裏切りの意味
彼女の存在は、親しさの仮面をかぶった支配者の顔を暴き、信仰が人間性を奪う危険性を浮き彫りにしています。
シスター・アンジェリカ:破綻する善意の末路
苦悩と最期
カリタに対する複雑な感情と教会の矛盾に苦しみ、彼女は精神を病み、焼身自殺という悲劇的な最期を迎えます。これは教会の矛盾に押し潰された“良心の崩壊”を象徴しています。
映画的対比
1976年版『オーメン』に登場する乳母の自殺と構造的に対比され、時代を超えた"犠牲の連鎖"を示唆しています。
パオロ:信頼を装う支配の手先
表と裏の顔
表向きは親切な青年として登場しますが、彼もまた教会に仕える一員であり、マーガレットを誘導する存在です。
象徴としての危険性
彼のキャラクターは、“笑顔で近づく支配者”として、善意を装った支配構造の巧妙さと恐ろしさを描き出しています。
本作における登場人物たちは、「信仰」「支配」「個の意思」「母性」など多層的なテーマの中で揺れ動いています。重要なのは、彼らが“善か悪か”という単純な二項対立で描かれていないことです。それぞれの立場と選択が、物語をより豊かにし、観客に“現代社会の縮図”を提示しているのです。このように『オーメン ザ・ファースト』は、単なるホラーの枠を超え、構造的ドラマとしても読み解く価値のある作品だといえるでしょう。
トリビアと伏線に見る仕掛けの巧妙さ

『オーメン ザ・ファースト』は、1976年のオリジナル版『オーメン』に強くリンクする前日譚として、多くの視覚的・設定的な“隠れ演出(イースターエッグ)”を含んでいます。これらは旧作ファンへのオマージュであると同時に、シリーズの世界観を深めるトリビアや伏線としても機能しています。
「It's all for you」の反転構造
最も象徴的な仕掛けが、シスター・アンジェリカの焼身自殺です。旧作で乳母が「It's all for you, Damien!」と叫び首を吊った場面を反転させ、本作ではアンジェリカが「これはあなたのため」と呟きながら炎に包まれます。これは“捧げられる死”の意味が奉仕から抗議へと転化されたことを示す演出です。
ロットワイラーやカラスの象徴的登場
動物の使い方にも旧作との接続が見られます。特にロットワイラーとカラスの登場は、災厄の予兆として旧作でも用いられていた演出。
- ロットワイラー:孤児院や教会で登場し、邪悪な力の番犬として描かれる。
- カラス:カリタの周囲で現れ、不吉な出来事の前触れを告げる。
これらは映像による直感的な恐怖の伏線となっており、旧作のファンには深い意味を持ちます。
「6月6日 午前6時」の誕生日時
ダミアンが生まれる日="666"の象徴を明示する演出も巧妙です。マーガレットが双子を出産するのが"6月6日 午前6時"であることが明かされ、シリーズと確実につながる時刻の伏線として機能しています。
「マリア・スキアーナ」とシャナナ計画の接続
旧作で"ジャッカル"の骨が埋められていた墓に刻まれた名「マリア・スキアーナ」が、本作では“シャナナ”というコードネームを与えられた器の少女のひとりで、実在の個人名ではない。旧作での“ジャッカルの骨”や墓標の意味が、本作によって“組織的な隠蔽工作”として物語的に補強されている、ということです。
クライマックスで流れる「Ave Satani」
ジェリー・ゴールドスミスによる悪魔的賛美歌「Ave Satani」が、クライマックスで印象的に流れることで、1976年版との音響的接続が完成します。この曲の使用は、物語が正史に合流したことの暗黙の宣言でもあります。
映像演出に仕込まれたサブテキスト
細かな構図や照明の使い方にも隠れた仕掛けが存在しています。
- ろうそくや照明が獣の顔に見える構図
- マーガレットの髪や影が角のように映る演出
- 暗がりに潜む不明瞭な存在の長回し(A24作品へのオマージュ)
これらは一見して気づきにくいものの、繰り返し鑑賞することで発見される映像トリビア的仕掛けとなっています。
まとめ:細部に宿るシリーズ愛と伏線の妙
『オーメン ザ・ファースト』は、ただの前日譚ではなく、1976年版を補強し、シリーズ神話を緻密に編み直す作品です。イースターエッグを通じて旧作への敬意を示しつつ、映像・音・名前・構図のすべてで伏線とリンクを織り上げる構成が、本作をより深く理解する鍵になります。旧作を振り返ってから鑑賞すれば、その巧妙さがより鮮明に浮かび上がることでしょう。
『オーメン ザ・ファースト』ラストを深掘りするためのネタバレ考察
チェックリスト
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山犬(ジャッカル)は物理的存在ではなく、女性の妊娠支配と宗教的暴力の象徴として描かれている
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教会は信仰を再生させるために「悪」を人工的に作る倒錯的陰謀を進めていた
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マーガレットの妊娠は「意志なき器」としての儀式的受胎であり、制度の暴力性を示す
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双子の存在は「善と悪」の二極性を象徴し、女児は希望の可能性として描かれる
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旧作との矛盾は「再定義」として処理され、設定を刷新しつつ整合性を確保している
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続編では逃れた女児とカリタが“対抗者”として登場し、新たな神話の構造を担う可能性が高い
「山犬(ジャッカル)」が象徴する恐怖と妊娠の構造

『オーメン ザ・ファースト』に登場する「山犬(ジャッカル)」は、単なる動物としての描写を超えた、宗教的・神話的・制度的支配の象徴です。本作ではその存在を通じて、1976年の旧作『オーメン』との接続を保ちつつ、悪の起源や妊娠の恐怖を抽象的にかつ象徴的に描いています。
ジャッカルは「母」か「象徴」か?旧作との再接続
旧作では、ダミアンの実母がジャッカルだったという驚くべき設定が語られましたが、それがどこまで現実なのかは曖昧でした。本作ではその伝承的な設定をビジュアル化し、マーガレットが幻視の中で山犬と対峙するシーンを通して、“恐怖の母胎”というイメージを観客に強く印象づけます。
この描写は、「悪魔の子を人間ではないものから産む」という宗教的秩序の反転をメタファーとして描いており、観る者に神話と現実の境界を揺さぶる感覚を与えます。
幻視に現れる山犬は交尾ではない
マーガレットが見た「山犬との交尾」のようなイメージは、実際の出来事ではなく儀式的支配の象徴的幻視です。彼女が意識を失うシーン、夢の中でジャッカルに追われるような描写、獣に襲われる感覚は、教会の手により自らの身体が「器」として利用されている恐怖をビジュアル化したものであり、性交や妊娠のメカニズムをリアルに描くことは意図されていません。
山犬は、肉体的行為ではなく「暴力的な妊娠支配の象徴」として機能しています。
マーガレットの妊娠はどう成立したのか?
本作は、マーガレットの妊娠を「現実的な手段」ではなく、人工的な儀式と超自然的要素によって描いています。
- マーガレットは“シャナナ5”という特別な器として、教会に選ばれていました。
- クラブで薬を盛られ、意識を失った彼女は、何らかの儀式的受胎操作を受けたと推測されます。
- この受胎が性交なのか人工授精なのか、あるいは“悪魔的な処女受胎”なのかは、あえて曖昧に描かれているのです。
このグレーさこそが、本作のホラー性の本質でもあります。
ジャッカル=「人智を超えた邪悪」のメタファー
山犬(ジャッカル)は、1976年版における「母なる獣」としての神話性を引き継ぎながら、本作ではさらに拡張され、制度と暴力によって女性の身体が支配される構造そのものの象徴として機能しています。
- 山犬の姿は、物理的な存在ではなく、精神的・宗教的支配の可視化
- ジャッカル=「悪の受胎」「女性の自由の剥奪」「信仰による身体支配」
この象徴性が、マーガレットの物語を個人の闘争から構造的ホラーへと昇華させているのです。
『オーメン ザ・ファースト』が提示する恐怖の核心
マーガレットが自らの意志と関係なく妊娠させられたことは明白ですが、「誰に」「どのように」という点は明示されません。それは、恐怖が“可視化できない何か”によってもたらされるものだという、本作のテーマそのものです。
旧作の「ジャッカルの母」設定を単なるファンタジーではなく、宗教制度が作り出した虚構であり、同時に真実であるという二重性で描き直すことで、より深い恐怖と構造批評へと踏み込んでいます。
✅ まとめ:山犬=比喩としての妊娠と信仰支配
- 山犬(ジャッカル)との性交描写は存在しない
- 妊娠は「受胎儀式」+「神話的演出」による抽象表現
- 山犬は「制度・信仰・暴力の象徴」として登場
- 妊娠描写の曖昧さが、本作の恐怖と批評性を支えている
このように、『オーメン ザ・ファースト』におけるジャッカルは、旧作の神話を受け継ぎながら、より現代的な意味での「見えない暴力」としてアップデートされた存在です。視覚に訴える演出の奥に隠された構造的恐怖を読み解くことが、本作をより深く味わう鍵となります。
教会による信仰支配と倒錯的陰謀を考察する

『オーメン ザ・ファースト』が描く最大の恐怖は、悪魔ではなく制度化された宗教権力です。ここで示される教会の陰謀とは、「信仰を回復させるために悪を作り出す」という倒錯した論理構造で成り立っています。
信仰を取り戻すための“悪の創造”
本作の中で、ローレンス枢機卿ら教会上層部が進めるのは、「現代社会の信仰の衰退」に対抗するための計画です。
彼らの信念はこうです:
「人々を再び神に向かわせるには、絶対的な悪=アンチキリストを生み出し、恐怖によって神を信じさせるしかない」
この思想は、信仰を恐怖によって再構築するというものであり、もはや純粋な信仰とは言えません。
本来「救済」の象徴であるはずの宗教が、「恐怖と支配」の手段へと変質しているのです。
女性を“器”として使う倫理の崩壊
この陰謀を具体化するために、教会は孤児院で育った女性たちを「器(シャナナ)」として管理・操作してきました。
マーガレットもその一人で、「シャナナ5」というコードネームのもと計画に組み込まれます。
この行為が内包する暴力性には、次のような問題があります:
- 個人の意思と身体を否定し、信仰の名の下に“利用”する
- 双子妊娠を操作し、女児を排除する前提で誕生させる
- 教義を口実にした洗脳と従属教育
つまり、制度が人間の命と自由意思を道具化しているのです。
組織的陰謀としての構造的恐怖
この陰謀は、ローレンス個人の狂気によるものではなく、多層的な教会内部の構造によって支えられています。
役割 | 登場人物 | 特徴 |
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計画の中心 | ローレンス枢機卿 | 教義の名を借りて“管理された悪”を誕生させる |
実行補助 | パオロ、ルス | 表向きは親切な協力者、実際は操る側 |
内部抵抗 | ブレナン神父、アンジェリカ | 良心に従って苦悩し、制度に抗う存在 |
このような多層的支配構造が裏で機能していることが、「制度の中に潜む日常的な恐怖」をよりリアルに描き出しています。
恐怖によって支配される信仰
最も恐ろしいのは、この陰謀が「恐怖こそが信仰を再生する」という歪んだ論理で正当化されている点です。
ローレンスのような聖職者が「悪の存在が神の証明になる」と考えることは、信仰そのものが狂信と暴力の道具に変質してしまったことを意味します。
最終的な帰結:犠牲と信仰の矛盾
物語の終盤、マーガレットは制度から逃れ、女児を守る選択をします。しかし、男児=ダミアンは教会の手に渡り、1976年の『オーメン』へと物語は接続されます。
この流れは、こう解釈できます:
「信仰の名の下に生まれたのは救済ではなく犠牲だった」
つまり、制度が正義を掲げたとき、どこまで人間性を破壊できるのかという問いが投げかけられているのです。
✅ まとめ:恐怖を利用する信仰の末路
『オーメン ザ・ファースト』は、悪魔や呪いの物語ではなく、「制度が悪を作る物語」です。
教会の陰謀は、単なる陰謀論ではなく、「信仰が構造化されたときに起こる倒錯」そのものであり、
その中で「母であること」「信じること」「抗うこと」の意味が問われているのです。
ダミアンとその双子の姉妹に宿る“善と悪”の二極性を考察
二極性の象徴としての双子
まず、双子の誕生には「善」と「悪」という古典的モチーフが重ねられています。マーガレットの出産によって生まれた女児は「救済の可能性」を象徴し、一方で男児ダミアンは「アンチキリスト」としての悪を体現します。
女児の存在意義
女児は「選ばれた器」だったにも関わらず、母親によって逃されることで“命ある人間”としての未来が残されます。つまり「破壊」ではなく「再生」、絶望ではなく「希望」を体現する存在として立ち上がります。
ダミアンとの対比構造
対照的に、ダミアンは教会の計画通りに捕らえられ、“悪の象徴”として育成されます。双子でありながら運命が分かれる構造は、物語が「人間の意思と宿命の狭間」を問う設計になっていることを意味します。
女児は物語において「救いの象徴」としての役割を果たし、ダミアンは「制度的恐怖の結晶」として立ち現れます。このような二極構造が、『オーメン ザ・ファースト』に奥行きを与え、ただのホラーを超えた思想的物語にしています。
矛盾=再解釈『オーメン ザ・ファースト』の整合性戦略

『オーメン ザ・ファースト』は、1976年のオリジナル『オーメン』に連なる前日譚として描かれていますが、物語の接続において一見すると“設定上の矛盾”がいくつか存在します。ただし、それらは意図的な再定義やメタファー的表現によって物語的な整合性が補完されており、シリーズ全体を再構築するための手法として機能しています。
■ ジャッカルの母説と「人間の母」設定
1976年版では、死体検査によりダミアンの母親が「ジャッカル」であるというショッキングな情報が語られますが、『オーメン ザ・ファースト』では、マーガレットという人間の女性がダミアンを出産したことが明確に描かれます。
この矛盾を補うのが、「ジャッカルの骨は教会による偽装だった」という設定です。証拠隠滅のために動物の骨を母親として埋めたという裏設定が提示され、これは教会の陰謀の一環として納得のいく形で整合性が取られています。
また、山犬(ジャッカル)は今作ではマーガレットの幻覚や象徴的存在として登場。これにより旧作の“伝承的設定”をメタファーに置き換えた、象徴性の刷新が図られています。
■ 双子設定の導入による世界観の拡張
旧作ではダミアンは「ひとりで生まれた悪の子」として描かれていましたが、今作ではマーガレットが男女の双子を出産していたという新設定が追加されています。男児がダミアン、女児は教会の手から逃れ、母とともに身を隠します。
この構造は、「知られていなかった真実が存在した」という前日譚的視点で語られ、旧作との断絶ではなく、“補完”としての設定追加と見ることができます。女児は「善の可能性」として描かれ、物語に倫理的対比と未来への希望を与える装置となっています。
■ 超常性と“666”の刻印に関する未描写
1976年版では、ダミアンは生まれながらに「666の獣の刻印」を持ち、悪魔的能力を備えた存在として表現されました。
一方、今作では誕生までの過程を描くことに重きが置かれており、刻印や力についての具体描写はありません。つまり本作では「覚醒前のダミアン」を扱っており、今後の成長や覚醒に含みを持たせた形で描写が控えられています。
これにより、旧作の設定と正面から衝突することなく、空白部分を埋める前章としての役割を果たしています。
■ 組織化された計画と“シャナナ”制度
ジャッカル伝承に代わって本作で導入されるのが、「シャナナ」という番号管理された器の制度です。これは教会が“悪の器”となる女性たちを管理してきた痕跡であり、伝説から計画的陰謀へと変化した構造を示します。
この設定は、旧作の曖昧な宗教的神話を制度的リアリズムに置き換えたものであり、より現代的なホラーとしての文脈を強めています。
■ 視覚・聴覚による連続性の確保
映画終盤で流れる『Ave Satani』や、燃えさかる祭壇の構図などは、旧作を意識した視覚・音響的リンクとして機能。旧作ファンへのオマージュであると同時に、「ここからダミアンの物語が始まる」という視覚的なブリッジとなっています。
✅ まとめ:矛盾ではなく“構造の再定義”
『オーメン ザ・ファースト』が提示する“矛盾”は、実はシリーズを再定義し、補強するための再構成に他なりません。
- ジャッカル母説は偽装として再解釈
- 双子設定は未語りの事実として挿入
- 超常性の描写は意図的に先送り
- 組織的計画としての“シャナナ”制度の追加
これらを通じて本作は、旧作を単に回顧するだけでなく、「前日譚として語るべき物語の骨格」を構築しており、オーメン・シリーズ全体に新たな深みを加える試みとなっています。
女性の身体性とフェミニズム的解釈(宗教×出産×支配)を考察

出産をめぐる信仰の構造と「器としての女性」
『オーメン ザ・ファースト』が描く最も本質的な恐怖のひとつは、「女性の身体が信仰の道具として利用される構造」です。マーガレットをはじめとする“シャナナ”と呼ばれる女性たちは、カトリック教会の陰謀によって悪魔の子を産むための“器”として育成されます。
この設定は、宗教的支配と性別役割の問題が結びついた身体性の政治的支配を象徴しています。女性が生むこと=神聖な奇跡とされる一方で、ここではそれが“意志の排除された生産装置”として扱われる。これはフェミニズム的観点から見れば、「母性の神聖化」がどこまで他者に利用され得るかという、重要な問いを提示しています。
自由意思と母性の衝突 ― マーガレットの闘い
マーガレットは、信仰と母性というふたつの重圧の中で葛藤しつつも、最終的には制度に背を向けて“母として生きること”を選びます。これは、女性が「与えられた役割」を拒絶し、自己決定の権利を取り戻す象徴的瞬間でもあります。
彼女の決断は、制度の犠牲者ではなく、“自らの選択によって母であることを肯定する主体”への変化を描いており、フェミニズム的抵抗の物語としても読み解くことが可能です。
教会という父性システムとの対立構造
本作における教会とは、規律・制御・超越的秩序といった“父性”の象徴として機能しています。一方、マーガレットやカリタの身体と感情は、生命や血肉を担う“母性”の象徴とされています。
この構図は、単なる男女の対立ではなく、「制度化された宗教的父性」と「身体的に生きる女性性」の思想的衝突を映しています。マーガレットの反抗は、まさにその父性構造からの逸脱であり、彼女が奪われてきた“語る声”を取り戻す行為として捉えることができます。
フェミニズム的視座で見た物語の意義
この映画は、「悪魔の子の誕生」という表層的ホラーの下に、「女性の身体が誰のものか?」という根源的問いを投げかけます。信仰、制度、伝統――それらがいかに女性の出産・性・母性を管理してきたかという歴史的文脈が、マーガレットの物語に凝縮されています。
続編予想:新たな戦いが導く神話の進化

ダミアン誕生後の構造変化と焦点の移動
『オーメン ザ・ファースト』は、「恐怖の起源」に焦点を当てた作品ですが、続編では視点が「選ばれし者の運命」と「その対抗者」へと移ると予想されます。特に、女児(ダミアンの双子の姉)とカリタの生存は、“希望の系譜”としての物語軸の出現を意味している可能性があります。
1976年版では描かれなかった「もう一つの血筋」が、次なる物語の鍵となり、ダミアンが「悪の象徴」であるならば、彼女は「善の可能性の象徴」として物語を二極化させていく展開が考えられます。
女児=“対抗者”としての位置付け
女児がマーガレットと共に逃亡したことで、教会の手から離れたもう一人の“シャナナの子”が存在することになります。この子が成長した先で、アンチキリストであるダミアンと対峙する存在となることで、神話構造としての“善悪の双子”が成立します。
この構図は、「悪の始まりを生んだ制度」への再挑戦を担う存在が、“逃れた者”の中から現れるというドラマ性と宗教的メタファーの融合でもあります。
続編で予想されるテーマの深化
続編では以下のような主題が展開される可能性があります
- カリタのその後:信仰を拒絶した者が“何を信じて生きるか”
- 教会の再構築:暴かれた陰謀の後、信仰は再生可能なのか
- 善悪の共存:絶対的な“光と闇”ではなく、“人間の中の矛盾”として善悪が描かれる可能性
つまり、次の物語は“信仰の廃墟”から再び希望を探し出す新たな神話であり、ホラーの枠を超えた倫理的探求のドラマとなる予想です。
次章は“母と子”から“未来と選択”へ
『オーメン ザ・ファースト』は、母性と制度の物語でした。続編では、その子どもたちが「何を継承し、何を拒否するのか」が軸となる可能性が高く、運命を継ぐか、断ち切るかという問いが中心に据えられるでしょう。
✅ まとめ
- マーガレットの物語は、制度に支配されてきた女性の身体をめぐる抵抗の記録であり、強いフェミニズム的メッセージを帯びている。
- 続編では、逃れた女児やカリタが希望の担い手となり、アンチキリスト=ダミアンとの構造的対立が描かれる可能性が高い。
- 「信仰とは何か」「人間は何を信じるべきか」がより哲学的に問われていく、新たなホラー神話の深化が期待される。
『オーメン ザ・ファースト』ネタバレ考察まとめ:シリーズ再構築と構造的恐怖を読み解く
- 『オーメン ザ・ファースト』は1976年版の前日譚として制作された
- 舞台は1971年のローマで、カトリック教会と孤児院の陰謀が描かれる
- 主人公マーガレットは“悪魔の子の器”として育てられていた
- 教会は信仰回復のために“管理された悪”を生み出す計画を進めていた
- マーガレットは双子を出産し、男児がダミアンとなる
- 女児は母によって逃され、“希望の象徴”として物語に残される
- 教会は出生の偽装と孤児院の焼失によって証拠を隠蔽する
- 山犬(ジャッカル)は暴力的妊娠支配の象徴として再解釈されている
- 教会は女性を「器」として番号管理し、個人の意思を排除していた
- シスター・アンジェリカの焼身自殺は旧作へのオマージュであり反転でもある
- 『Ave Satani』の使用により旧作との音響的接続が演出されている
- 幻視や象徴的映像によって構造的恐怖を表現している
- “666”の誕生時間がダミアン誕生の演出に用いられている
- 旧作の“ジャッカル母説”は偽装という形で物語的に整合されている
- 続編では逃れた女児やカリタによる新たな神話構造の展開が期待されている