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『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』徹底考察と衝撃ネタバレ解説

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2025年公開のジャパニーズホラー映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、VHSという古びた記録メディアを媒介に、“記憶”と“存在”の不確かさを深くえぐる作品だ。本記事では、映画の基本情報や物語の核となるあらすじを押さえたうえで、視聴後に誰もが気になる「司はどうなったのか?」「摩白山とは何だったのか?」といった疑問を多角的に考察していく。

中盤以降、ゼミ仲間・美琴は何を“見てしまった”のか。そして、映像の中に取り込まれていくようなラストの構造が何を意味しているのか──それらは、あえて語られずに沈黙することで、より深い読解を観客に委ねている。

また、作品中にはフレームの端に映る“第三者”や、ガラス越しの隠された演出といった巧妙な伏線が点在しており、再鑑賞時にはまったく違う顔を見せる。さらに、入場者特典の短編小説『未必の故意』が補助線として作用し、登場人物の“語られない罪”を照らし出す点にも注目だ。

本記事では、作品に散りばめられた要素を丁寧に拾い上げながら、ホラーという枠を超えた“映像と記憶の物語”を深掘りしていく。

ポイント

“見せない恐怖”とJホラーの正統進化

物語の核は“家族の記憶と罪

摩白山=“捨てられたもの”の集積地

ラストの“消失”と“継承”が意味するもの

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』ネタバレ考察|あらすじと出来事を整理

チェックリスト

  • 『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、“見せない恐怖”を徹底した国産Jホラー映画で、2025年に劇場公開。

  • 主人公・敬太が過去の忌まわしい記憶と向き合う過程を、VHS映像と霊的現象を通して描く物語構造が特徴。

  • 摩白山にまつわる“神様を捨てる”という伝承が、現実の家族の闇と繋がり、観客の想像力を刺激する。

  • 登場人物の“語り”や民間伝承の挿話など、モキュメンタリー手法によってリアリティと没入感が演出されている。

  • 敬太の弟・日向の失踪事件の真相が少しずつ明かされていくが、核心部分は明確にされず、“考察”を促す余白が残されている。

  • 結末では、敬太自身がビデオ映像に取り込まれたような描写があり、観客に“物語の続きを委ねる”不穏なラストとなっている。

基本情報と公開時の注目点

項目内容
タイトルミッシング・チャイルド・ビデオテープ
原題Missing Child Videotape
公開年2025年
制作国日本
上映時間104分
ジャンルジャパニーズホラー/サスペンス
監督近藤亮太
主演杉田雷麟、平井亜門

映画のタイトルと監督情報

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、2025年1月24日に公開された国産ホラー映画です。
監督・脚本を務めたのは近藤亮太氏で、本作が長編デビュー作となります。近藤監督はこれまでに『イシナガキクエを探しています』などのテレビドラマの演出に関わり、Jホラーの系譜に連なる作品づくりを行ってきました。

受賞歴と製作背景

本作の原案は、2022年度「第2回 日本ホラー映画大賞」で大賞を受賞した短編映画であり、その受賞を機に劇場用として拡張されました。映画賞受賞作を基にした商業長編デビュー作という背景は、Jホラーファンから注目を集める大きな要因となりました。

スタッフ・キャスト

  • 監督・脚本:近藤亮太
  • 主演:杉田雷麟(児玉敬太役)、平井亜門(天野司役)
  • 撮影:松田一久
  • 配給:KADOKAWA

加えて、藤井隆関町知弘(ライス)など、お笑い芸人をあえて起用した点も印象的です。これは「観客が知っている顔が、知らない存在に見える恐怖」を狙ったものとされています。

ジャンルと演出スタイルの特徴

ジャンルは「静的ジャパニーズホラー」に分類され、ノーCG・ノージャンプスケア・ノー特殊メイクという制約のもとで製作されています。つまり、音や映像で直接的に驚かすのではなく、静寂と違和感で観客の神経を削るような恐怖表現が中心です。

これは90年代の『リング』や『仄暗い水の底から』といったJホラーの文脈を受け継ぎつつも、現代的な映像文法で再構成した「見せないことで怖い」ホラーの再提案と言えます。

あらすじ|消えた弟と封じられた記憶

あらすじ|消えた弟と封じられた記憶
イメージ:当サイト作成

はじまり

主人公の兒玉敬太は失踪した人間を探すボランティアをしており、山の林道で行方不明となっていた6歳の松島翔平を無事に発見。敬太が身に付けていた熊除けの鈴が気になっていた翔平に、敬太は「あ、熊除けの鈴だよこれ」と話すと翔平は「あくまよけのすず?」と聞き間違える。抱き抱えると、安心したのか翔平は「にいちゃん…」と声を漏らす。その言葉に思うところがあったのか敬太は表情が曇るのだった。

母親から届いた謎の荷物

翔平が発見されたというニュースを見ていた敬太の同居人・天野司のもとに敬太が帰宅します。敬太宛に荷物が届いており、それは彼の母親から送られてきたものでした。中身はいつもどおり離婚した父の遺品。しかしそのなかに1本のVHSが入っていました。同居人で霊感のある司(平井亜門)は、それを見てなんとも言えない顔をします。
また、押し入れにはすでに多くのダンボールが積まれており、こうした荷物の受け取りは今回が初めてではないことが分かりますが、敬太がビデオテープに強い関心を示し、ビデオデッキを手に入れた敬太は、早速VHSを再生します。そこに写っていたのは、子どものころに父のビデオカメラを借りて敬太自身が撮影した映像でした。そしてそのなかには、日向が行方不明になる瞬間も映し出されていました。

霊感を持つ同居人と現れる記者

司が職場へ向かう中、ひとりの女性が訪ねてきます。彼女は新聞記者の久住美琴で、失踪した翔平を見つけた敬太に取材を試みていた人物です。しかし敬太には会えず、すれ違った司に経緯を説明することにしました。司は敬太の取材については協力できないが、久住が悩まされているのはストーカーではなく、霊的なものだと語り、自身が霊感を持つ人物であることを暗に示します。

禁断のビデオテープと敬太の過去

敬太が抱える心の傷の核心は、弟・日向の失踪にありました。彼は同居人の司にその過去を語り、「一緒にビデオテープを見てほしい」と申し出ます。

そのビデオには、敬太が2階の窓から日向と父親のキャッチボールを不満そうに眺める様子や、母に促されながらも気乗りしない態度を取る場面が映っていました。さらに、場面は森へと移ります。日向を疎ましく思っていた敬太は、かくれんぼを提案しますが、日向は「ぷよぷよがいる」と意味深な発言をし、拒否します。それでも無理やり始められたかくれんぼの末、日向は見つからなくなってしまうのです。映像は焦る敬太の姿で終わります。

敬太は家に戻り両親とともに警察に通報しますが、映像に映っていた廃墟はどれだけ探しても見つかりませんでした。テープを見終えた司は「これは捨てるなり燃やすなりした方がいい」と忠告します。敬太の母親がこのビデオを送ってきた意図を司は理解できず、困惑するのでした。

敬太をめぐる違和感と記者・久住の再訪

その後、記者の久住が再び司の元を訪れます。彼女は敬太さんのお父さんから「息子のことを頼みます」と電話があった事を話しますが、司は「敬太の父親は昨年亡くなり、遺骨も自宅にあります」と返答します。突然の矛盾に場の空気が張り詰めるのでした。

敬太の覚悟と母への決別

翌日、司が帰宅すると、敬太は荷物をまとめていました。テープを送ってきた母に直接会いに行き「もう全てを終わらせたい」と語る敬太に、司は不安を覚え同行を申し出ます。

敬太の実家に到着した二人。司は2階にただならぬ気配を感じたため1階で待機。敬太が2階まで行ったが母と再会することはなく、代わりに語られたのは、日向が失踪してからも家族で誕生日会を続けていたという異様な過去でした。敬太は「両親は自分が日向を殺したと思っていた」と吐露し、司は強い口調で否定します。

すると敬太は、山に少しだけ登りたいと提案。しぶしぶ同行した司とともに山中に入った敬太は、一瞬、日向らしき背中を目撃して追いかけますが、辿り着いた場所には無数の骨壷が埋まっていました。

摩白山の謎と語り継がれる闇

警察に通報した二人は、警察署で事情聴取を受けます。しかし警察官は「罰当たりなことですね。でも、あの山は……」と意味深な言葉を残します。
久住はこの地域で起きた過去の失踪事件を調査していました。塚本も大学山岳部の集団失踪事件の記録を所持しており、警察から密かに受け取ったテープレコーダーを久住に渡します。その録音は、廃墟に入った直後に唐突に切れており、塚本は「こんな小さな山で遺体が見つからないのはおかしい」と語ります。

地元に伝わる呪いと深まる闇

夜遅くなったため、敬太と司は近くの旅館に泊まることにします。そこで女将の息子が語ったのは、摩白山にまつわる異様な風習でした。彼の曾祖母は幼少期、大人たちが「山には行ってならないと言われていたが、大人たちは子供が寝てから山へ行っていた」ことから、夜に山へ向かうのを「楽しいこと」だと思っていたそうですが、実際は「“神様”を捨てている」と言うのです。曾祖母もまた、初潮を迎えた日、その下着を山に捨てに行った後、生理が止まったという話も……。息子は若くして生理が止まったということから、「俺は曾祖母の何なのか、怖くなる」と話しました。

一方で司は、密かに久住と連絡を取り、再び敬太の実家を訪れる計画を立てます。

母の死と山の呼び声

司が再び敬太の実家に向かうと、2階で母親の自殺死体を発見します。その頃、敬太の前には母親の霊が現れ、「日向を見つけてあげて」と訴えます。そして突然、父親の遺骨が入った骨壷にひびが入るという異変が起こります。

旅館に到着した久住は、敬太と初めて対面します。山岳部の録音をもとに、廃墟への道を探ることを提案します。その直後、司から連絡が入ります。

「敬太は母親の遺体が見えていなかった。あの山はおかしい。絶対に敬太を山に入れてはいけない」

そう伝える司の声が、久住には「あの山に向かってくれ」と聞こえてしまうのでした。

そして、廃墟へと導かれるように歩を進めてしまう敬太。車で待機していた久住の前に司が姿を現し、二人は廃墟へ向かって敬太を追いかけていきます。

明かされる真実と、再び失われる者

司は、廃墟の中から聞こえてきた敬太の声を頼りに、2階へと向かいます。ちょうどその頃、外にいた久住は見えない何かに手を引っ張られたかのように、その場から動けなくなっていました。廃墟の2階で、日向の姿を見つけて歓喜する敬太の前に、司は重く静かに語り始めます。

「そいつは日向君じゃない。ずっと言えなかったけど、日向君はいつも敬太の隣にいた」

つまり司には日向の霊が見えていたことを告白します。「霊が見えていた」この言葉には、敬太がずっと直視できなかった真実が込められていました。

その瞬間、過去の世界で司は敬太と日向が幼い頃に遊んだ“かくれんぼ”の時間帯に運ばれます。日向の後を追った司は、日向が階段の下で血を流して横たわる日向の遺体を発見してしまいます。一方、現実世界の敬太も、階段下へと足を運ぶと、なぜか過去の司と現在の敬太の二人の視線が交錯します。敬太はそこで弟の日向が着ていたレインコートを見つけ、泣き崩れるのでした。

その直後、司が誰かにビデオテープで撮影されいるような撮られているような不気味な主観映像に切り替わります。そして、司の姿はそのまま消えてしまうのです。

3ヶ月後──残された者たちと続く恐怖

事件から3ヶ月が経過した現在でも、“見えざる何か”の存在は人々の背後に確かに残っているのです。

まず、新聞記者の久住は、司の失踪後もなお事件の真相を追い続けていました。調査に没頭する彼女でしたが、ある瞬間、背後から視線を感じるようになります。振り返っても誰の姿もありません。ですが、何かがそこに「いた」ことだけは確かでした。

同じころ、旅館にいた女将の息子もまた、摩白山で奇妙な感覚を抱きます。誰かに見られているような気にする様子があります。

一方、敬太はマンションに戻ってきます。落ち着いたかのように見える日常のなか、ふと背後に何かの気配を感じます。恐る恐る振り向き、「司……?」と呼びかける敬太。その瞬間、視点は再びビデオカメラのレンズ越しのような主観映像に切り替わり、敬太自身が何かに“撮られている”存在となって物語は幕を閉じます。

登場人物と役割一覧

登場人物と役割一覧
イメージ:当サイト作成

ここでは、映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』に登場する主要人物たちと、その物語上の役割について解説します。

児玉敬太(こだま けいた)

演:杉田雷麟

物語の主人公であり、もっとも複雑な内面を抱えた人物です。幼少期、実の弟・日向を山で失踪させた過去を持ちます。その出来事が彼の人生に暗い影を落とし、現在は行方不明者の捜索ボランティアに従事しています。

ある日、母親から送られてきた古いビデオテープをきっかけに、忘れたはずの記憶と向き合うことになります。物語は、彼の心の奥に眠る「忌まわしい過去の真相」へと迫る旅そのものだと言えるでしょう。

天野司(あまの つかさ)

演:平井亜門

敬太と同居する友人であり、物語の“もう一つの目”とも言える存在です。彼は霊感を持つ人物であり、普通の人には見えないものを感じ取る力を持っています。ビデオテープに漂う異様な気配にもいち早く気付き、敬太に深入りしないよう忠告します。

ただし、彼自身も次第に物語の核心へと巻き込まれていき、やがて極めて重要な役割を果たすことになります。敬太の鏡のような存在として、観客に多くの“気づき”を与えてくれる人物です。

久住美琴(くすみ みこと)

演:森田想

新聞記者として登場する彼女は、敬太の弟・日向の失踪事件を追う中で物語に関わってきます。当初は取材目的だった彼女ですが、次第に事件そのものへの関心と敬太への共感が深まり、共に真実へと迫る存在へと変化します。

記者としての視点と第三者的な立場を持ちながら、最終的には物語の流れを動かす一因となります。

塚本哲也(つかもと てつや)

演:藤井隆

久住の上司であり、報道機関に所属する中堅記者です。登場シーンは多くないものの、存在感は際立っています。事件の調査には一定の距離を保ちつつも、かつて自身が追っていた失踪事件に関する知見を提供し、裏方として物語を支える役割を担います。

現実と霊的な領域のあいだに立つような人物であり、久住の行動にも少なからず影響を与えています。

日向(ひなた)

敬太の弟

物語の発端となる重要な存在です。幼少期、兄の敬太と山で遊んでいた際に突然失踪し、それが敬太の人生を大きく狂わせる出来事となります。

日向自身の出番は限られていますが、その存在は物語の全体において常に影響力を持ち続けていると言っても過言ではありません。彼の失踪が作品全体の謎と恐怖の中心にあるからです。

見どころ①“見せない恐怖”による極限の緊張感とJホラーの継承

見どころ①“見せない恐怖”による極限の緊張感とJホラーの継承
イメージ:当サイト作成

本作『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』が放つ最大の魅力は、徹底した「見せない恐怖」の演出にあります。現代のホラー映画が頼りがちなCGやジャンプスケアを極力排除し、観る側の想像力を刺激する演出設計が、本作を特別な存在へと押し上げています。

湿度を帯びた“空気そのもの”が恐怖を呼び起こす

最も印象的なのは、「何かがいそうで、いない。でも、やっぱり“いる”ような気がする」という、言葉にならない気配の描写です。
ビデオテープ、古びた家、朽ちた廃墟、深い山林──こうしたJホラーにおける定番の舞台装置は、本作でも重要な役割を果たしています。それらは説明を伴うことなく登場しながらも、その場に“在る”というだけで、圧倒的な不安感を観客に植え付けます

このような演出は、ホラーゲーム『零』シリーズを彷彿とさせるような湿気を帯びた質感を持っており、視覚的に情報を与えすぎないことで、恐怖の正体をあえて曖昧にしています。

あえて“映さない”という選択がもたらす緊張感

本作における怪異の登場は、極限まで抑えられています。明確に「何か」が映ることはほとんどなく、それでいて常に「何かが起きるかもしれない」という緊張感が全編を通して続きます。
例えば、カメラが後方を映したとき、そこに“何かがいるかもしれない”という期待と恐怖が生まれ、何も起こらなくても観客の心拍数は上がるばかりです。この「何も起きていないのに怖い」状態こそ、Jホラーの真髄であり、本作がそれを現代に復活させたことは高く評価されるべきでしょう。

“ノーCG”の潔さと、曖昧な“ノージャンプスケア”宣言

監督の近藤亮太氏は、本作において自らに「ノーCG」「ノー特殊メイク」「ノージャンプスケア」という縛りを課したと公言しています。特に**「ノーCG」へのこだわり**は際立っており、安易なビジュアルショックで観客を驚かせるのではなく、あくまでも実在感と“場の空気”で恐怖を構築するという、潔い姿勢が光ります。

ただし、「ノージャンプスケア」に関してはややグレーな印象も残ります。たとえば、防犯ブザーが突然鳴る車内のシーンなどは、観客を驚かせる意図が感じられるため、「それをジャンプスケアと呼ぶべきでは?」という声も一部にはあるようです。
この点については監督自身がX(旧Twitter)で言及しており、「ジャンプスケアの定義とは“映像の変化を伴う大きな音”である」という考えに基づいて制作したことを明かしています。つまり、本作では“音だけで驚かせる”ことはしていても、“映像を変えて驚かせる”という構造は採っていないというわけです。

想像力が恐怖を拡張させる構造

CGもジャンプスケアも使わない代わりに、本作が信頼しているのは観客自身の想像力です。なぜその場に違和感があるのか、なぜこのカットがこんなに怖いのか……そうした説明されない“ざわめき”を観る者に残し、映画を観終えた後もなお緊張が続く構造となっています。

この「終わった後にも続く恐怖」こそ、90年代Jホラーが持っていた感覚であり、本作がそれを現代に再現できたことは、非常に意義深いと感じられます。

見どころ②“考察を誘う余白”と“家族の闇”の融合した物語構造

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』のもう一つの大きな魅力は、ホラー演出に人間ドラマを絡めながら、あえて明確な答えを示さない物語構造にあります。単なる幽霊譚ではなく、家族間の罪や記憶といった感情の綾を描き出すことで、観る者の心に深く残る余韻と恐怖を与えています。

あえて説明しないことが、観客の想像力を刺激する

本作では、ストーリーの要所において説明を省き、あえて観客に「考える余白」を残しています。明確な原因や正体を描かず、あくまで状況だけを淡々と提示することで、「この現象は一体何だったのか?」「登場人物たちは本当に救われたのか?」といった終わっても解決しない問いを観る者に投げかけ続けます。

このような演出方針には、監督・近藤亮太氏の「見えないものの方が怖い」という信念が表れており、観客の想像に委ねることによって恐怖がむしろ強化されているのです。
恐怖は明確になった瞬間、輪郭ができ、理解可能になってしまう──その本質を見抜いた上での選択だと言えるでしょう。

モキュメンタリー的な語りが現実との境界を曖昧にする

フィクションでありながら、本作にはモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)的手法が随所に取り入れられています。VHS映像の質感、淡々とした語り口、そして演技を極力排した自然な台詞まわしが、実際に起きた出来事を記録したかのようなリアリティを生み出しています。

とくに印象的なのは、民宿の少年が語る怪談の場面です。俳優然とした“演技”が排除され、ただ淡々と語られるその姿に、観客は不思議な没入感を覚え、「本当にあった話なのでは?」という錯覚を抱きます。こうしたリアルな語りが物語全体に一層の説得力を与えており、恐怖と現実の境界線を曖昧にしているのです。

“家族”というテーマが描く、過去の罪と向き合う物語

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、幽霊や怪異といったホラー要素だけでなく、家族間の記憶や罪意識といった深い人間ドラマを軸にしています。

主人公・敬太が幼い頃に弟・日向を山中で見失ったという事実。そして、その後も続く家族の関係性には、言葉にならない疑念と重苦しい沈黙が横たわっています。「自分が殺したと思われているのではないか」「本当は自分が日向を置いてきてしまったのではないか」──そうした曖昧で解消されない罪悪感が、観客にも重くのしかかってくるのです。

恐怖の中心にあるのは、実は“幽霊”ではなく、“記憶”と“後悔”なのかもしれません。

クライマックス後も続く恐怖──“持ち帰るホラー”としての完成度

本作は、クライマックスにおいても明確なカタルシスを用意していません。物語が大きな爆発を見せることなく、最後まで張り詰めた空気のまま終わる構成によって、観終わってもなお続く「不安」や「ざわつき」を持ち帰る映画となっています。

象徴的だったのは、廃墟のシーンにおいて、主人公・敬太の背後に父母と弟・日向の霊と思しき姿が現れた場面。そこにあえてピントが合っていなかったことが、この作品の思想を象徴しています。姿をはっきり見せることなく、それでも「確かに“何か”がいた」と観客に思わせる──それこそが、本作が恐怖映画として機能している理由のひとつです。

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』ネタバレ考察|山・美琴と霊・司の結末

チェックリスト

  • 摩白山は「縁を切る」「捨てる」ために訪れる霊的な山で、人間の闇や関係性の断絶を象徴している。

  • 司の消失は敬太に現実(弟の死)を告げた代償であり、「幻想を壊した者が異界に取り込まれる」ことを示している。

  • 美琴に憑いていた霊は、敬太の父ではなく、彼女自身の過去に由来する霊的存在と考える方が整合的である。

  • “掴まれた手”の正体は、守護霊ではなく「見捨てられまいとする霊」の執着であり、美琴が過去を振り払った象徴的な場面。

  • 敬太の結末は、弟の死という罪と向き合った結果、彼自身が“映像の世界”に取り込まれていくように描かれている。

  • 美琴は事件の継承者となり、ラストで古いビデオテープを受け取ったことで、今後も怪異の真相を追う運命に置かれた。

摩白山の信仰と捨てる文化を考察する

摩白山の信仰と捨てる文化を考察する
イメージ:当サイト作成

摩白山は、ただの自然地形としての山ではなく、**「人間が背負いきれないものを捨てに行く」**という強い象徴性を持った場所として描かれています。劇中で繰り返し語られる通り、そこは「縁切りの場」であり、「現実からの逃避地」であり、また「心の闇を投棄する場所」として、特異な霊的な場所として存在しており、まずはこの山について考察します。

摩白山とはどのような場所か?

1. 縁を切るための場所

摩白山は、家族・信仰・罪・記憶など、人間関係や感情的なつながりを断ち切りたいときに訪れる“目的地”として存在します。劇中では以下のような“捨てられたもの”が登場します:

  • 遺骨(供養を放棄された故人)
  • 汚れた下着(身体の変化の拒絶)
  • 幻想や希望(敬太の「弟は生きているかもしれない」という信念)

このことから、肉体的・精神的な“変化”や“痛み”を否定し、消し去る場所としての側面があります。

2. 誰でも行けるわけではない

摩白山は、道に迷えば誰でも辿り着くような場所ではなく、何かを捨てたいと思っている者だけが到達できる“選ばれし場所”として描かれています。ある意味で、その人の内面が山に呼応する形で導かれてしまうのです。

3. 祀られぬ神々の住処

この山は「神や仏を捨てる場所」とも語られています。信仰を失った神々が集まり、居座るという言い伝えが残っており、劇中に登場する謎のコンクリート廃墟は、そうした神々の棲家だと考えられています。通常は目に見えないが、心の隙間やタイミングによって「現世に姿を現す」不気味な建造物です。

4. 失踪事件が繰り返される

摩白山では、長年にわたり謎の失踪事件が相次いでおり、大学の山岳部員が集団で消えた事件も記録に残っています。また、主人公・敬太の弟・日向もこの山で行方不明になり、その後の出来事が物語の発端となります。

5. 地元民の“無言の共犯”

この山にまつわる数々の怪異や呪いについて、地元の人々は「知っていても語らない」態度を取っています。夜になると大人たちが何かを捨てに山へ向かい、子どもには山に近づかないよう注意する一方で、骨壷の投棄なども“見て見ぬふり”をしているようです。つまり、この山の機能や呪性は、長年地元民によって維持されてきたものでもあるのです。

摩白山の本質とは?

摩白山の本当の怖さは、「何が起きるか」がはっきりしていない点にあります。何かを捨てに来た人間が、気付かないうちに自分自身を捨ててしまっているかもしれない。あるいは、捨てたつもりの“何か”に自分が引きずられてしまうかもしれない。

摩白山は、失踪や死といった現象の舞台であると同時に、人々の「見たくない現実」を閉じ込める場所です。祀られぬ神、忘れたい記憶、捨てたい人間関係――それらが堆積していくこの山は、人間社会における「闇の最終処分場」と言えるかもしれません。

司は敬太に「捨てられた」のか?──消失の真意に迫る

VHS考察:映像が語る“呪いと記憶”の正体
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司の消失は偶然ではなく、敬太との関係の断絶、そして“見られたくない真実”からの無意識的な逃避が引き起こした象徴的な出来事である可能性があります。

霊感を持つ同居人・司の突然の失踪は、作品のなかでも最も謎めいた瞬間として描かれています。そして観客の多くが抱くのが、「司は敬太に“捨てられた”のではないか?」という問いです。この説を軸に、司の言動や精神的役割からその真相を探っていきます。

沈黙を破った瞬間、関係が壊れた

司は最初から、敬太のそばに“日向の霊”が存在していることに気づいていました。彼には、日向がすでに死亡していることが明確に「視えていた」からです。しかし彼は長いあいだそれを敬太には言わず、沈黙を保っていました。

この沈黙は、敬太にとって唯一「弟は生きているかもしれない」という希望を信じ続けられる余地となっていたのです。

ところが物語の終盤、司はついにその沈黙を破り、「弟は君のそばにいた」と事実を告げます。つまり、日向の死という残酷な現実を、敬太に突きつけたのです。希望が崩れた瞬間、敬太の支えもまた崩れてしまいました。

敬太が「捨てた」のではなく、「切り離された」のかもしれない

ここで重要なのは、敬太が司を意図的に「見捨てた」のではないということです。むしろ、「幻想が壊れたその瞬間に」、希望とともに司の存在も無意識に切り離してしまった可能性が高いと考えられます。

司は、長年敬太とともに「沈黙の共犯者」として存在していました。その関係が壊れたとき、敬太にとって司は「信じていたい世界」を壊した張本人でもありました。結果として彼は、心の奥底で司を「もう要らない存在」として、山へ――つまり“捨てる場所”へと追いやったとも言えるでしょう。

霊的断絶としての「消失」

司は霊感を持ち、現実と異界の狭間に立つ人物でした。その彼が最後に“見えなくなる”“存在が失われる”という演出は、ただのホラー的演出ではなく、人間関係の崩壊を霊的に視覚化した象徴と捉えることができます。

敬太との絆が断たれたことで、司は「この世での居場所」を失い、異界に取り込まれてしまった。言い換えれば、司の消失とは「信頼の断絶」によって引き起こされた精神的な“神隠し”だったのではないでしょうか。

「見ないでほしかった」敬太の心の声

敬太は、弟を失った自責の念を長年抱えながらも、それを直視しないことで自我を保ってきました。だからこそ、司の霊的な目がそれを“視ている”ことを、彼はどこかで拒んでいた可能性があります。

「見ないでほしい」
「知らないふりをしていてほしい」

そんな無意識の願いが、結果的に司の“消失”を呼び込んでしまったのだとすれば、司は敬太に“捨てられた”のではなく、敬太自身が見たくなかった自分の一部を排除した結果として、彼を失ったとも考えられます。

司の消失は悲劇か、それとも必然か

最終的に、司は真実を語り、敬太に現実と向き合わせます。「弟はもういない」という、誰も伝えたくない事実をあえて伝えた代償として、司は姿を消したのです。

この視点に立てば、司の消失は「現実を暴いた者の末路」であり、同時に「幻想からの脱却を促す導き手の役割」を果たしたとも言えます。だからこそ、この消失はただの悲劇ではなく、物語の精神的クライマックスだったのです。

久住美琴に取り憑いていた霊の正体とは?

美琴はなぜ巻き込まれたのか?
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映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』において、新聞記者・久住美琴が体験する霊的現象は、物語の中でも印象的な謎のひとつです。彼女に取り憑いていた霊の正体については明確に描かれておらず、観客に委ねられた余白となっています。

その正体としてはここでは主に2つの説を紹介します。ひとつは「敬太の父親の霊」説、もうひとつは「美琴自身の過去や取材に由来する霊」説です。前者は一見わかりやすく、作中描写ともリンクするために他の方のレビューでも支持されていますが、個人的には後者の方が、より作品のテーマ性や整合性にかなった解釈だと考えられます。

「敬太の父親の霊」だったという説

この説は、以下のような描写に基づいています。

  • 不可解な電話:作中中盤、美琴の元に“敬太の父親”と思われる人物から電話がかかってきます。「息子をよろしく」と語るその声は、美琴を困惑させるに十分な異様さを持っていました。
  • 霊感を持つ司の助言:同居人の司は、美琴についた霊について「悪いものではない」「特に対処は必要ない」と語っており、その存在が攻撃的でないことは作中でも示唆されています。
  • 父親の延長線上としての霊的役割:敬太が語った「良い父親を演じていた」という言葉と重ねて、死後も父親としての役目を果たそうと美琴に憑いたのでは、という解釈も可能です。

また、一部では、父親が「息子に女性を近づけたい」という古い価値観から美琴に取り憑いた、いわば“縁談の霊”的な存在だったという見方すらあります。

しかし、父親の霊ではない可能性の方が高い理由

こうした説にも関わらず、美琴に憑いていた霊が敬太の父親であるとは断定できない、むしろそうではない可能性が濃厚だとする理由は以下の通りです。

理由①:「父親の霊」である決定的根拠が存在しない

作中では、電話の声が父親であったと明言されていません。「息子をよろしく」という言葉も、霊的存在が“敬太を守ろうとする意思”を持っていたことは示していても、それが実の父親であることの証明にはなりません。また、男性的な手の描写も、他の霊や存在である可能性を排除するものではありません。なんなら、司と美琴の電話内容が「山へ行くな」が「山へ連れていけ」と改ざんされているという描写もあることから、美琴への電話内容が本当に父親だったのかも疑わしい点です。

理由②:美琴に霊が憑いていたのは、敬太と出会う前から

美琴は、敬太と出会う以前から「誰かに尾行されている」と感じており、実際にストーカーのような存在に悩まされていました。このことから、彼女に憑いていた霊は敬太の家族とは無関係に、彼女自身の過去や仕事に由来する霊であった可能性が高いのです。

彼女が過去に取材で接触した未解決事件や死者の記憶、あるいは怨念が、山という“異界の磁場”で顕在化したのではないか。そうした読み解きの方が、より論理的で一貫性があります。

理由③:守護霊であるなら、なぜ敬太に直接働きかけないのか?

もし父親の霊が息子を守ろうとする意志を持っていたのであれば、なぜ司でもなく、敬太本人でもなく、あえて美琴に取り憑いたのでしょうか。その意図が明確に語られることはなく、むしろ父親霊説の最大の弱点とも言えます。親が子に直接つかず、他人を媒介するというのは、守護霊の振る舞いとしては不自然です。先述した「縁談」としての意味があった場合、司には行かないでしょうが、敬太にコンタクトを取るべきと思います。日向はずっと敬太にくっついていたわけですから、親子で一緒に敬太といたらと考えられます。

結論:美琴に憑いていたのは「彼女自身の過去」による霊である可能性が本筋

以上を踏まえると、久住美琴に取り憑いていた霊の正体としては、

  • 彼女自身が取材などを通して無自覚に引き寄せていた“未練”の霊
  • 過去の事件関係者や犠牲者の記憶が山によって顕在化した存在
  • 異界的な空間によって“視える化”された、個人的な罪悪感や恐れの投影

といった可能性の方が、作中の流れや人物描写と整合しています。最終的に廃墟でその霊的現象と向き合い、美琴が解放されたように見えるのも、「自分自身の過去との決着」が描かれているからこそです。

美琴に憑いた霊の正体は明かされないままですが、彼女個人の問題として深く掘り下げるべきものだったのであり、父親霊説よりも、美琴自身が背負っていた“見えない過去”の方が、より本質的で妥当な解釈だと考えられます。

では美琴の腕を掴んだ霊の正体とは何だったのか?

幽霊は本当に存在していたのか?
イメージ:当サイト作成

物語終盤、摩白山の廃墟で久住美琴の腕が“誰かの手”によって掴まれる場面が登場します。彼女はその手に引き止められるように立ち止まり、2階へ進むのをやめたことで、結果的に現実世界に留まり続けることができました。

この「掴まれた手」は、誰のものだったのか? そしてこの瞬間が物語上に持つ意味とは何だったのか?
この記事では、“父親霊”説は先述したとおり否定しているため、より作品の整合性に適う「別の霊による執着の手」とする見解を深掘りします。

見捨てられまいとする霊:執着の「引き戻す手」

摩白山は「縁切り」の場、つまり“捨てに来る場所”として描かれており、美琴もまた、無意識に自身の背負う霊をここで振り払おうとしていた可能性があります。その場合、掴まれた手は「見捨てられまいとする霊の執着」の象徴です。

この説のポイント:

  • 美琴は敬太と出会う前から霊的な違和感に悩まされていた(電話・尾行の気配など)。
  • 掴まれた直後、美琴は恐怖しつつもその手を振り払おうとし、結果的に現実世界に戻る。
  • それ以降、美琴に霊が取り憑いている描写は消える(=憑き物が落ちた)。

この流れから見るに、あの手は“断ち切るべき過去”を象徴しており、美琴が廃墟という異界で霊的な決別を果たした“儀式的瞬間”だったと考えられます。

あの「手」は、彼女自身の“手放すべき過去”の象徴である

司が消えたあと、美琴だけが現実世界に戻ることができたのは偶然ではありません。彼女は、過去の取材や記憶、無自覚に引き寄せてしまった霊的存在と摩白山で対峙し、“掴まれる”という最後の執着に抗うことで、それらを振り切ったのです。

あの瞬間こそが、美琴が「過去の霊から解放されるために支払った、最後の代償」であり、彼女がこの物語の“生還者”となるために通らなければならなかった関門だったと言えるでしょう。

すなわち、あの手は誰かの“救い”ではなく、美琴自身が“別れを決断した瞬間”を象徴しているのです。

演出上、手の大きさや「息子をよろしく」といった電話の台詞が“父親”を想起させるように作られていたのは事実です。これは、あえて観客に「家族」「保護」「父性」といったイメージを重ねさせることで、彼女の霊体験に“優しさ”と“怖さ”を同居させる効果を狙った演出とも読み取れます。

しかし、最終的に描かれたのは“父の物語”ではなく、“美琴自身の再生”であったことに変わりはありません。

あの手は誰かの“救い”ではなく、美琴自身が“別れを決断した瞬間”を象徴しているのです。

登場人物たちの変化と結末の解釈

敬太:真実と向き合った末の行方

敬太は幼い頃から弟の失踪という忌まわしい過去に囚われ続けてきましたが、山での体験により遂にその真実に直面したことになります。司の告白や現場での日向の遺品などによって、敬太は日向が事故死していた可能性を認めざるを得なくなりました。

司が目撃した光景は、「敬太自身が見たはずの日向の最期」と解釈できます。つまり敬太は当時、弟が落下した瞬間を目撃しながら何もできず山を去ったという現実が浮かび上がったのです。
これにより彼はトラウマとして長年封じてきた罪悪感という記憶と向き合うことになり、ラストでは日向の上着を抱えて号泣する姿も描かれました。
敬太にとってこれは贖罪と解放の瞬間でもありますが、同時に彼の運命はなおも山に囚われ続けます。

ラストシーンでは、敬太は一人生還したかに見えましたが、完全に無事だったとは言い難い描写がなされています。彼が自宅に戻った後、視線を感じて「司?」と聞くシーンでは部屋の照明が点滅し、敬太自身の姿がまるでVHS映像のように乱れる(ノイズの走った質感で映る)シーンがあるのです。

これは司がビデオテープの中から敬太を見守っているとの解釈ができますが、逆に「敬太もまたビデオテープの世界に取り込まれつつある」ことを示唆していると考えられます。これは、敬太が犯した罪(弟の死)と向き合ったことで、彼自身も現実世界に留まれなくなる=贖いとして異界へ引かれていくという因果応報にも読めます。

美琴:憑き物が落ちた者と新たな使命

美琴は廃墟で得体の知れない体験をしたものの、司とは対照的に現実世界へ戻ることができました。腕を掴んだ霊とのエピソードを経て、美琴は自分に付き纏っていた霊現象から解放された可能性があります(先述の通り、守護霊であれば役目を終え、悪霊であれば縁切りに成功した)。

その意味で美琴自身の変化としては、恐怖に翻弄される受け身の存在から、物語を次に繋げる鍵を託された能動的な存在へと役割が転換した点が挙げられます。
ラストシーンで美琴のデスクに映る一幕がそれを象徴しています。美琴が会社の自分の机に戻った際、見覚えのない古いビデオテープが置かれていることに気づきます。彼女はそれに驚き戸惑いますが、このテープこそ物語の謎や真実に関わる新たな手がかりと解釈されています。
おそらく誰か(何か)が意図的に美琴の元へ送り届けたものであり、過去の秘密や隠された事実を示す映像が収められているのでしょう。

美琴は山での一件を経て、単なる取材対象者から事件の当事者へと立場を変えました。
このテープの存在は、彼女が今後もこの怪異の真相を追い続ける宿命を背負ったことを暗示していると言えます。

その他の人物:宿命からは逃れられない

この物語では、主要人物以外にも山の怪異に巻き込まれる者がいます。たとえば民宿の青年・雪斗(山の伝承を敬太に語った祖母の孫)は、エンディング近くで失踪した日向のポスターを山中で見つめる場面が描かれ、その背後に何者かの視線(気配)が示唆されます。次の瞬間、彼の姿は忽然と消え失せ、まるで雪斗も新たな行方不明者になったかのように暗示されています。伝承を語った彼自身が山に興味を抱き近づいてしまったことで、山の怪異に招かれてしまったのでしょう。この出来事は、「この山に関わる者は誰であれ無事では済まない」という救いのなさを強調しています。さらに言えば、山に縁を持つ人々(敬太の家族や地元の者)は皆、何らかの形で人生を狂わされており、宿命的な呪いから逃れられない様が浮かび上がります。美琴だけが外部から来た存在でしたが、最終的に彼女もまたテープを託されてしまった以上、“仲間入り”してしまったと言えるかもしれません。

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』ネタバレ考察まとめ──映像と記憶が交錯する恐怖の構造

  • 『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、“見せない恐怖”を徹底した国産Jホラー映画で、2025年に劇場公開。
  • 主人公・敬太が過去の忌まわしい記憶と向き合う過程を、VHS映像と霊的現象を通して描く物語構造が特徴。
  • 摩白山にまつわる“神様を捨てる”という伝承が、現実の家族の闇と繋がり、観客の想像力を刺激する。
  • 登場人物の“語り”や民間伝承の挿話など、モキュメンタリー手法によってリアリティと没入感が演出されている。
  • 敬太の弟・日向の失踪事件の真相が少しずつ明かされていくが、核心部分は明確にされず、“考察”を促す余白が残されている。
  • 結末では、敬太自身がビデオ映像に取り込まれたような描写があり、観客に“物語の続きを委ねる”不穏なラストとなっている。
  • 摩白山は「縁を切る」「捨てる」ために訪れる霊的な山で、人間の闇や関係性の断絶を象徴している。
  • 司の消失は敬太に現実(弟の死)を告げた代償であり、「幻想を壊した者が異界に取り込まれる」ことを示している。
  • 美琴に憑いていた霊は、敬太の父ではなく、彼女自身の過去に由来する霊的存在と考える方が整合的である。
  • “掴まれた手”の正体は、守護霊ではなく「見捨てられまいとする霊」の執着であり、美琴が過去を振り払った象徴的な場面。
  • 敬太の結末は、弟の死という罪と向き合った結果、彼自身が“映像の世界”に取り込まれていくように描かれている。
  • 美琴は事件の継承者となり、ラストで古いビデオテープを受け取ったことで、今後も怪異の真相を追う運命に置かれた。


-スリル・サスペンス/ホラー・ミステリー