
映画「カラダ探し」は公開直後からSNSやレビューサイトなどで観客の間でも議論を呼び、「ひどい」と感じた人も少なくない。テンポ重視の展開は一部から「怖くない」「期待外れ」との声を集め、低評価につながったと考えられます。特に原作とのギャップや映画の限界が際立ち、恐怖の積み上げや物語の深みを求める層には物足りなさが残った。
しかし一方で、キャストの演技力を評価する声や、テンポの良さを肯定的評価として受け止める観客もいる。また、省略された伏線や余白の多さは「続編への期待」を高める要素ともなり、酷評の中にも次作への希望が芽生えているのが特徴的であり、これらの点についても解説していきます。
本作品のネタバレ考察はこちらの記事にまとめてありますので是非ご覧ください!
映画『カラダ探し』ネタバレ考察|赤い人の正体・エンドロール後の新聞・原作との違いまとめ - 物語の知恵袋
映画「カラダ探し」はひどい?低評価レビューを徹底解説
チェックリスト
-
映画『カラダ探し』は「怖くない」「ひどい」との声が多く、星3前後の評価に集中。
-
青春や友情描写が強調され、ホラー要素の“恐怖の蓄積”が薄く物足りなさを生む。
-
102分・PG12の制約で要素を詰め込みすぎ、テンポ重視となり緊張感が続かない。
-
前半は怪談的ホラー、後半はクリーチャー的展開にシフトし、怖さの質が揺れる。
-
キャラ掘り下げ不足や伏線未回収が感情移入を妨げ、「原作劣化」との批判も。
-
一方で赤い人のビジュアルやテンポ、青春×ライトホラーの“観やすさ”は一定評価あり。
映画「カラダ探し」は本当にひどい?低評価の現状

公開当初からカラダ探しの映画が「ひどい」「怖くない」といった声が多く見られます。レビューは星3/5前後に集中し、ホラーを期待した観客ほど落胆が大きいのが現状です。ただし、赤い人の造形やテンポの良さを評価する声もあり、完全な失敗作とは言い切れません。
低評価の理由
ホラーより友情や青春描写に重きが置かれ、恐怖体験を期待した観客には物足りない印象。102分の中に要素を詰め込みすぎて恐怖の積み上げが薄く、設定のブレや駆け足感も指摘されています。
一定の評価ポイント
赤い人のビジュアルやエクソシストのような動きにはインパクトがあり、映像としての見応えは十分。テンポの良さで最後まで飽きずに観られる点や、原作と異なる解釈を歓迎する声もあります。
評価が割れる理由
「ひどい」と感じやすいのは、原作で強烈な恐怖を体験済みの人や純粋なホラーを求める層。一方で、青春要素とスリルの融合を楽しめる人や、PG12でデート向きのライトホラーを探す層には“見やすい”作品と映ります。
話題化した背景
ループ×デスゲームという題材の強さに加え、若手キャストの存在感が集客を後押し。さらに終盤の“続き”を匂わせる演出がSNSで賛否を呼び、話題性につながりました。
「ひどい」という評価は“何をホラーに求めるか”で大きく変わります。恐怖を最重視する人には不満が残りますが、青春群像とライトな恐怖を許容できる人にとっては、まずまず楽しめる映画といえるでしょう。
ホラーを求めた観客が肩透かしを受けた理由
ホラーを期待して観た人ほど、青春パートの比重と恐怖の薄さに物足りなさを覚えやすい作品です。 PG12・102分という枠の中で要素を盛り込み、緊張の“溜め”が不足した結果、怖さよりも軽快さが前に出た――これが「つまらない」という声の主な背景にあたります。
ホラーより青春が主役に見える
物語は“赤い人”の恐怖だけでなく、友情や恋の芽生えを大きく描く設計です。プールでのじゃれ合い、海辺のスローモーション、カフェでの語らいなど、清涼感のある場面が続くと、恐怖の緊張が中断されやすくなります。ホラー目当ての観客にはギャップが大きく、「怖がりに来たのに、青春を観た」という受け取り方が生まれやすいのです。
恐怖の“蓄積”が弱く緊張が続かない
死んでも同じ日へ戻るループ設定は面白い反面、危機の不可逆性が薄まりやすいという弱点も抱えます。さらに102分の中で“体探し”をモンタージュ的に圧縮したため、探索→対峙→学習の循環が積み上がりにくい印象です。終盤で「食べられると存在が消える」という重いリスクが出ますが、導入が遅く、前半の緊張不足を補い切れないという声が目立ちます。
トーンの切り替えとルール運用の揺れ
前半は霊的な恐怖、後半はエミリーの“第二形態”によるクリーチャー寄りの展開へとシフトします。加えて、“赤い人”に物理的制約が効く場面もあり、求めていた“怪談の怖さ”からアクション寄りの怖さにトーンが揺れる印象です。ジャンルのハイブリッド自体は魅力ですが、怖さの質が変わる瞬間が「自分の想像と違う」と感じさせる一因になります。
キャラ掘り下げが浅く感情移入しにくい
各キャラクターの孤独や傷は提示されますが、映画一本分の尺では描写が短冊的になりがちです。連帯感の芽生えは伝わる一方で、恐怖の中での心情変化が深掘り不足に映り、緊迫シーンのドキドキが伸びきらないという評価につながります。配信ドラマなら映える“章”を、劇場尺へ圧縮した弊害と受け止める向きもあります。
映画「カラダ探し」が“怖くない”と期待外れ

「カラダ探し」映画版は、観客から「ホラーとして薄い」「怖さが足りない」という評価を多く受けています。背景には、青春要素への比重・恐怖演出の希薄さ・ジャンルのトーンの揺れといった複数の要因が絡み合っています。
青春描写が恐怖の持続を断ち切る
物語は“赤い人”の恐怖だけでなく、友情や恋の芽生えを丁寧に描いています。プールや海辺でのシーン、カフェでの語らいなどは清涼感がありますが、その分緊張の糸がこまめに切れてしまい、恐怖の積み上げが途切れやすい構造となりました。ホラーを期待して観た人ほど、ギャップに落胆しやすくなります。
恐怖の“溜め”と不可逆性が弱い
体探しの過程はモンタージュ的にまとめられ、静けさ→予兆→襲撃という恐怖の階段が丁寧に積み上がりません。加えて、死んでも同じ日に戻るループ設定が前半の危機感を軽く見せてしまいます。終盤で「食べられると存在が消える」というリスクは提示されますが、導入が遅いため効果は限定的です。
トーンの変化が怖さを分散させる
序盤は霊的なホラーの空気がありますが、後半はエミリーの“第二形態”によってクリーチャー映画やアクション寄りにシフトします。また、“赤い人”が物理的制約に左右される場面もあり、怪談的な不条理さからモンスターパニック的な恐怖へと質が変わる瞬間がありました。結果として、観客の期待していた“怖さ”とベクトルがずれる形になっています。
PG12と102分の制約
映画はPG12指定で過度な残酷描写を避けており、102分の尺に友情・群像・ループ設定を詰め込んだため、恐怖の“間”や反復の演出が削られやすくなりました。その結果、赤い人の造形やスパイダーウォークなど印象的な瞬間はあっても、じわじわ迫る恐怖として持続する形には育ちにくかったのです。
恐怖よりテンポを重視した映画の限界
「カラダ探し」映画版には、テンポの早さや演出の配分に関して観客から疑問の声が多く寄せられています。恐怖をじわじわ積み上げる“溜め”の時間が十分に確保されず、緊張が生まれにくい構成になっている点が、作品全体の印象に影響しました。
展開の速さが恐怖を削ぐ
物語は「体のパーツを探す」というループ型の設定を持ちながらも、テンポを優先して各探索シーンがモンタージュ的に処理されています。静けさから不穏な兆しへ、そして襲撃へと至る段階的な恐怖の積み重ねが薄れ、観客が緊張を維持する前にシーンが次々と切り替わってしまうのです。
映画尺の制約と演出不足
102分という映画の枠に、友情描写・群像劇・ループ設定・ホラー要素を詰め込んだ結果、それぞれの演出にかけられる時間は限定的になりました。原作や漫画で描かれる“じわじわ迫る恐怖”は、テレビドラマ形式であれば再現可能だったかもしれませんが、映画ではどうしても削られる場面が多くなり、恐怖体験としては物足りなく映ります。
テンポとホラーの相性
ホラー映画の効果は「間」と「反復」によって増幅することが多いですが、本作ではテンポの速さがその逆に作用しました。友情や青春の要素を挟むことで物語の流れ自体は軽快に見える一方、ホラーに必要な“余白”が失われ、観客が不安を膨らませる余地が少なくなってしまったのです。
演技力への評価が分かれた背景

「カラダ探し」映画版では、出演者の演技に対して賛否が分かれる声が多くありました。とくに主演や若手キャストに注目が集まり、恐怖を感じさせるべきシーンで演技が軽く見えたことが、「演技下手」と評価される要因になったと考えられます。
若手中心キャストの経験不足
キャストの多くは若手俳優で構成されており、青春ドラマや恋愛要素のシーンでは自然体の演技が評価されました。しかし、緊迫感が求められるホラー演出になると、表情や声の抑揚が単調に見え、観客の没入感を損なう瞬間が生じています。恐怖を“伝える”表現力に経験不足が見えた部分が、否定的な意見に直結しました。
演出とのかみ合わせの難しさ
102分という尺に友情・ループ設定・ホラーを詰め込んだ構成上、恐怖演出の“間”をしっかり確保できず、役者の感情を積み上げる余裕が削られました。場面転換が速いために、キャラクターの恐怖がじわじわ深まる前に次の展開へ進んでしまい、演技が浅く見える効果を生んでしまったのです。
演技が恐怖を支え切れなかった印象
「赤い人」の造形やスパイダーウォークといったビジュアル的な怖さは評価されましたが、それを受け止めるキャラクターの反応が観客の感情移入を十分に引き出せなかった点も課題でした。本来なら演技が恐怖体験の媒介となるべきところで、逆に映像効果だけが目立ち、演技が追いつかない印象を与えています。
演技評価の分かれ目
一方で「等身大の若者らしさが良い」「友情パートは自然」と肯定的な声も存在します。つまり「演技下手」とされた背景には、俳優本人の力量だけでなく、映画全体の演出バランスやジャンル特性との相性が大きく影響していると言えるでしょう。
盛り込みすぎた欲張り脚本の落とし穴
ホラー・友情・謎解きを一度に成立させようとして焦点が拡散し、脚本のまとまりが弱く見えます。 その結果、ホラーの濃度が下がり、原作や漫画で“じわじわ来る恐怖”を知る層を中心に不満が噴出しました。
焦点の分散でジャンルがぶつかる
物語は“赤い人”の恐怖に加え、友情や恋の芽生え、学園ドラマまで広げています。PG12・102分に多要素を詰め込むため、恐怖の“溜め”よりも青春の軽快さが前面化。プールや海辺、カフェのやり取りが緊張の連続性を断ち切り、ホラーとしての体感が薄くなりました。
ルール運用とトーンの一貫性が弱い
前半は霊的ホラーの空気を醸しつつ、後半でエミリーの“第二形態”へと転調しクリーチャー/モンスターパニック寄りに。さらに、“赤い人”に物理的な制約が効く描写など、怖さの質が揺れます。観客が期待する「怪談的な不条理」から「アクション寄りの恐怖」へとベクトルが変わり、満足度に影響しました。
探索パート圧縮で恐怖が育たない
“体探し”の工程がモンタージュ的に圧縮され、静寂→予兆→襲撃という恐怖の階段が十分に積み上がりません。ループ設定により序盤は死がリセットされる安心感も働き、切迫感の構築が後手に。終盤で「食べられると存在が消える」という高い賭け金が提示されるものの、導入が遅く効果が限定的です。
伏線と人物動機の消化不良
図書室司書の八代や、理恵の嫉妬、冒頭の海外エピソードなど、広げた糸が十分に回収されない印象があります。キャラクターの孤独や傷は提示されるものの、感情の深掘りが短冊的で、恐怖と結びつくドラマが薄まりました。原作改変自体は許容されがちでも、省略の多さが単体作品としての満足感を下げています。
脚本は“欲張り設計”によりホラーの持続と一貫性を犠牲にし、探索の積み上げや人物ドラマの接続が弱く見えました。とくに原作の恐怖体験を期待した観客ほど、この焦点の拡散と回収不足を“弱点”として捉えやすい構図です。
「駄作」とされた評価と一部での肯定的評価

一部で「駄作」と断じられたのは、期待していた“濃いホラー体験”と映画の実際の設計がずれたためです。 とりわけ「怖くない」「原作を劣化させた」という声が目立ちましたが、同時に映画オリジナルの解釈やテンポの良さを評価する意見もあります。
「怖くない」が強い評価軸になった
ホラーとしての“溜め”や反復が薄く、恐怖の持続が生まれにくかったと受け取られました。PG12・102分の枠内で、友情や群像パートがこまめに挟まることで、怖さの蓄積が中断されやすかったためです。結果として、ホラー純度を求める層ほど厳しい採点になりました。
「原作劣化」批判が出たポイント
映画はホラー×青春×ループを同時に描こうとしたため、焦点が分散したと見る向きがあります。前半の霊的ホラーから、後半はエミリー“第二形態”によるクリーチャー寄りへ転調し、さらに“赤い人”に物理的制約が効く描写もあって、怖さの質が揺れる印象に。原作の“じわじわ系の恐怖”を期待していた読者ほど、改変ではなく希薄化と感じやすかったのが実情です。
物語の圧縮で生じた消化不良
“体探し”の工程がモンタージュ的に圧縮され、静けさ→予兆→襲撃という階段を踏ませにくい構成でした。終盤で「食べられると存在が消える」という高い賭け金が提示されるものの、導入が遅く、前半の緊張不足を補い切れないとの声が増加。八代や理恵の感情線、序盤の示唆など、張った糸の回収が足りないという指摘も「まとまりの弱さ」という評価に直結しました。
それでも肯定が集まった要素
一方で、“赤い人”の造形やスパイダーウォーク的所作など“怖い絵”のインパクト、ジェットコースター的テンポ、オリジナル解釈を歓迎する声は一定数あります。エンドロール後の示唆が議論を呼び、賛否を含め話題化に寄与した点も見逃せません。
受け手の前提で評価が割れる
原作・漫画で濃い恐怖に慣れている人、ルールの一貫性や怪談的な不条理を重視する人ほど低評価になりがちです。反対に、PG12相当の恐怖×青春という観やすさや、実写ならではの別解を楽しむ姿勢の観客には中評価で落ち着く傾向があります。
「駄作」というラベルは、ホラーに何を求めるかで強度が変わります。映画版は“盛り込み”によって恐怖の持続と一貫性が弱まり、原作ファンの期待とズレたために厳しい声が生まれました。とはいえ、ビジュアルの記憶性やテンポ、続編への布石を評価する意見もあり、全否定ではなく評価の分散が実態に近いと言えます。
映画「カラダ探し」はひどい?評価の分かれ目と続編への期待
チェックリスト
-
映画「カラダ探し」の評価は、ホラーを求めた層と青春群像劇を楽しんだ層で大きく分かれる。
-
若手キャストや友情描写を評価する声がある一方、「怖さ不足」「緊張感が続かない」との不満も多い。
-
展開はテンポ重視で観やすいが、心理描写や恐怖の積み重ねが不足していると指摘される。
-
原作との差異(ルール変更や赤い人の描写など)が、戸惑いや批判の要因になった。
-
ラストの解釈や伏線の未回収が議論を呼び、続編への布石と受け取る声もある。
-
続編では「恐怖の持続性」と「物語の一貫性」が補強される期待が高まっている。
映画「カラダ探し」の評価は観客の期待で賛否が分かれる

「カラダ探し」映画版の評価は、観客の期待値や受け取り方によって大きく分かれています。青春群像劇として楽しんだ人もいれば、ホラーとしての緊張感を求めた人には物足りなく映ったケースも多く、評価の軸そのものが揺れているのが特徴です。
キャストや青春要素を支持する層
肯定的な意見として目立つのは、若手俳優陣の自然な演技や友情・青春要素を評価する声です。特に日常パートや友情を描く場面では「等身大で共感しやすい」「ドラマとして観やすい」といった反応が寄せられています。ホラーに耐性のない観客や若年層には、恐怖一辺倒ではない構成がむしろ魅力になりました。
ホラー純度を求めた層の不満
一方で「怖くなかった」「緊張感が持続しない」といった否定的な評価も少なくありません。原作や漫画で“じわじわ迫る恐怖”を知っている層は、映画でのテンポ重視の編集や演出に物足りなさを感じやすく、原作改変以上に“恐怖の薄さ”を不満の根拠としました。
評価の分かれ目は「期待値」
観客がこの作品にどんなジャンル性を期待していたかが評価を分ける最大の要因です。ホラー映画として強い恐怖を期待すれば落胆につながりやすく、逆に青春ドラマやキャストの魅力を重視すれば満足度は高まります。つまり「ホラーとして観るか」「青春映画として観るか」によって、同じ作品でも真逆の印象を持たれるのです。
「カラダ探し」映画版は、ジャンルを横断する構成ゆえに幅広い層を取り込めた反面、ホラー特化を望む観客には響きにくい結果となりました。評価の割れ方は、作品の完成度そのものよりも“観客が求めた体験”によって決まっているといえるでしょう。
映画「カラダ探し」のネタバレ感想と賛否の声

「カラダ探し」映画版は、テンポの速さや映像的な迫力で一気に観られる仕上がりになっている一方、細部の積み上げや人物の心情表現が不足しているとの声が目立ちます。特にラストシーンの解釈をめぐっては、観客の間で賛否が大きく分かれる結果となりました。
ストーリーはスピーディだが描写不足も
映画は102分の中で友情・ホラー・ループと複数要素を描こうとしたため、展開が駆け足気味に進みます。死のループを繰り返す恐怖やキャラクターの心理的な変化が深掘りされず、緊張感が途切れやすいという感想が多く見られました。観客からは「怖さが持続しない」「感情移入がしにくい」という意見が寄せられています。
ラストの解釈をめぐる賛否
終盤では「赤い人」の正体やループの結末について示唆される場面があり、物語が一応の決着を見せます。しかし、描写が断片的なため「続編ありきでは?」と受け取る人や「回収不足で消化不良」と感じる人が多く、ラストの解釈をめぐって大きな議論が生まれました。とくに原作の重厚な恐怖を期待していた層には物足りなさが残ったようです。
肯定的に捉える観客も存在
一方で、ホラー要素に加えて青春群像劇やテンポの良さを楽しんだ層からは「観やすい」「映像的な迫力は満足」といった肯定的な声もあります。特に“赤い人”の造形やスパイダーウォークのようなホラー演出は記憶に残りやすく、話題性に貢献した点は見逃せません。
「カラダ探し」映画版は、テンポ重視で進むストーリー展開が観やすさを生んだ反面、人物の内面や恐怖の積み重ねが弱く感じられました。ラストの描写をめぐる賛否も含め、原作ファンやホラーを求める観客には批判が集まりやすかった一方、青春要素やテンポを評価する観客もおり、全体として賛否が大きく分かれる作品となっています。
原作とのギャップと映画オリジナル解釈の賛否
原作と映画でルールや語り口が大きく異なるため、原作既読者ほど戸惑いが生まれやすい作品です。一方で、映画ならではの再解釈を評価する声も一定数あります。
具体的な相違点(例):日付・「頼む人」・ルール
原作ではループ日が11月9日、映画は7月5日に変更。さらに「カラダ探し」を頼む存在が原作=赤い人/映画=幼い少女へと差し替えられました。映画独自のルールとして、“食べられると存在が消える”や“クリア後は記憶を失う”が強調され、物語の緊張の置き場所が変わっています。
映画オリジナルの展開:エミリー合体と存在抹消
映画は中盤以降、赤い人+エミリー人形の合体(第二形態)というクリーチャー寄りの恐怖に転調。ここで「捕食=存在抹消」という重いペナルティが追加され、終盤の賭け金を上げています。原作の怪談的“じわじわ”から、映画のモンスターパニック的即効性へと“怖さの質”が切り替わる点が、違和感の源になりやすいところです。
違和感が生まれやすいポイント
- 恐怖の設計のズレ: 原作の“溜めてから刺す”怖さに対し、映画はテンポ優先で探索をモンタージュ処理しがち。原作の長期的な緊張感を求めた層には薄味に映ります。
- 因果や設定の運用: 映画では赤い人に物理的制約が効く描写や、6人選抜=孤独の暗示など解釈キーが簡略化。複線(例:司書・海外エピソード)が回収不足に見え、“原作改変”というより“希薄化”と受け取られがちです。
- 結末のトーン: エンド後の新聞記事改変(次の犠牲者=明日香示唆)は、原作の重層的設定に慣れた読者ほど続編前提の割り切りに見え、単体満足度を下げる要因になります。
それでも肯定できる見方
前述の通り、私自身は“実写は同じことをなぞらなくてよい”という立場です。
作品をそのままなぞることで、作品のファンは漫画のような2次元の世界観を3次元で楽しむこともできますし、小説のファンも文字から想像していた妄想の世界をリアルとして楽しめます。
しかし、ストーリーを知っているのであれば、同じことをされても新鮮味に欠けると考えてしまう為、せっかくなら映画の再解釈(舞台・ルール・決着の仕方)を積極的に評価したいと思います。特に、赤い人の造形やスパイダーウォーク的所作などの“怖い一枚絵”は印象に残りやすく、テンポ重視で観やすい娯楽ホラーとして機能したという受け止めもできるのではないでしょうか。
違和感の正体は、原作が持つ“じわじわ恐怖”と映画の“スピード&再解釈”の差にあります。原作再現を望むほど齟齬が大きくなり、映画オリジナルを楽しむ姿勢に立つほど受容度が上がる——評価の分岐はここにあります。
酷評の先に芽生える「続編への期待」

単体では物足りなかった人が多い一方で、“未回収の糸”と公式に示された続編設計が次回作への関心を高めています。ルール拡張・舞台刷新・主要キャスト続投がそろい、弱点とされた“恐怖の薄さ”を補強できる土台が整っているからです。
未回収の伏線が「次」を呼ぶ
エンド後の新聞記事が明日香に書き換わる示唆、司書・海外事例・6人選抜の意味など、単体では消化不良に映った要素が複数残りました。前述の通り、これらは本作の評価を下げた一因ですが、裏を返せば続編で回収される余白です。観客のモヤモヤはそのまま“見届けたい動機”になります。
公式発表:舞台・ルール・タイトルの明確化
続編『カラダ探し THE LAST NIGHT』は、真夜中の遊園地を舞台にスケールアップ。既存のルールに加え、「クリア後に誰かが犠牲になる」というルールが明示され、不可逆性が初手から上がる構造へ。“溜めと反復が不足”という前作の課題を、設計側から補強できる見込みがあります。
期待値を底上げするビジュアルと継続キャスト
ティザーでは“赤く染まった明日香”が棺から覗く衝撃カットを公開。求心力のある一枚絵が最初期から用意されており、恐怖の持続を絵とルールで支える狙いが読み取れます。主演の橋本環奈・眞栄田郷敦が続投し、新キャストを加えた群像編成で、前作より人物線を整理しつつ緊張を持続させる余地が広がりました。
音楽・話題性の牽引
主題歌にStray Kids「Parade」、挿入歌にヤバイTシャツ屋さんと、拡散力の高い音楽面が後押し。話題化→動員→制作リソースの増幅という好循環が望め、恐怖演出に必要な“間”やセットピースを確保しやすくなります。
「酷評の芯」を次回で反転できる余地
前作の酷評の芯は、恐怖の“溜め”不足/トーンの揺れ/回収不足でした。続編は
- 初期状態から高リスク(犠牲ルール)
- 閉園後の遊園地=多層ロケーション
- “明日香をどう救うか”という一本芯の動機
により、恐怖の凝集度を上げやすい条件がそろいます。青春×ホラーの配分も、明日香の行方という明確な目的で引き締めやすいはずです。
単体評価は低めでも、余白の多さ=続編での上振れ余地です。ルールの強化、舞台の刷新、核となる動機の明確化が重なり、前作の弱点(恐怖の持続・一貫性)を構造面から補正できる見込みがあります。だからこそ、「次は本当に怖くしてくれるのか」という建設的な期待が、酷評の中にも確かに芽生えているのです。
「カラダ探し」映画がひどいと言われる理由まとめ
- ストーリー展開が駆け足で心理描写が浅い
- ホラーより青春要素が前面に出て恐怖が薄い
- 赤い人の造形は迫力があるが恐怖の持続性に欠ける
- 原作のじわじわした恐怖が再現されていない
- ルール改変や省略で設定の説得力が弱まった
- 伏線が十分に回収されず消化不良感が残る
- ラストの解釈が曖昧で議論を呼んだ
- 続編前提の作りで単体完結性が低い
- ホラー演出がジャンプスケア頼みで単調
- 探索シーンがモンタージュ処理され緊張感が途切れる
- キャラクターの心情変化が十分に描かれていない
- 怖さを期待した観客が落胆しやすい構造になっている
- 青春群像劇としては中途半端で深みがない
- 映画ならではの再解釈が違和感につながった
- 単体評価は低いが続編への期待だけが残った