
こんにちは、物語の知恵袋のふくろうです。
『哀愁しんでれら』を観終わって、私がいちばん引っかかったのはヒカリでした。
筆箱の件では嘘をつく。お弁当を作ってもらえないと学校で泣く。来実が死んだあとには「ゲームオーバー」という不気味な言葉まで口にする。ここまで見せられると、来実を窓から突き落としたのもヒカリだと思ってしまいますよね。
ところが、この映画はそこからもう一度ひっくり返ります。
ヒカリは問題行動を繰り返していますが、来実を殺したわけではありません。それなのに、小春と大悟は「娘を守る」という理由から、本当に取り返しのつかない事件を起こしてしまいます。
私はこの反転こそ、『哀愁しんでれら』で一番怖いところだと思っています。悪い子どもに大人が振り回される話ではなく、普通だったはずの愛情が少しずつ別のものへ変わっていく映画なんですよ。
この記事でわかること
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ヒカリが実際にしたことと嘘の内容
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来実を殺したのは本当にヒカリなのか
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小春と大悟が最後に起こした事件
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赤い靴や左耳などラストにつながる意味
ここからは映画『哀愁しんでれら』の結末までネタバレしています。未鑑賞でラストを知りたくない方は、鑑賞後に読み進めてください。
哀愁しんでれらのネタバレと事件の真相
まずは、小春が大悟と出会ってから学校での事件へ至るまでをたどります。本作はヒカリの怪しい言動が次々と重なるため、途中で「ヒカリがすべての元凶」と感じやすい作りです。ですが、一つずつ事実を見ていくと、印象とは違った姿が見えてきます。
作品情報と主な登場人物
『哀愁しんでれら』は2021年2月5日に公開された日本映画で、監督・脚本は渡部亮平。TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILM 2016でグランプリを受賞した企画を基にしたオリジナル作品です。
主人公の福浦小春を土屋太鳳、開業医の泉澤大悟を田中圭、大悟の8歳の娘・ヒカリをCOCOが演じています。
| 人物 | キャスト | 物語での立場 |
|---|---|---|
| 福浦小春 | 土屋太鳳 | 児童相談所で働く主人公 |
| 泉澤大悟 | 田中圭 | ヒカリを育てる裕福な開業医 |
| 泉澤ヒカリ | COCO | 大悟の娘で小春の義理の娘 |
| 福浦千夏 | 山田杏奈 | 小春の妹 |
| 泉澤美智代 | 銀粉蝶 | 大悟の母 |
公式サイトでは、「足のサイズしか知らない王子様と結婚したシンデレラは本当に幸せになったのでしょうか?」という問いが掲げられています。本作が普通のシンデレラストーリーではないことを、その一文が端的に表しています。
(出典:映画『哀愁しんでれら』公式サイト)
小春が一晩ですべてを失う
26歳の小春は児童相談所で働きながら、自転車店を営む父、妹の千夏、祖父と暮らしていました。
幼い頃に母親が家を出てしまった過去があり、小春の中には「自分はちゃんとした母親になりたい」という思いがあります。この過去は、終盤の選択にも深く関係してきます。
そんな小春を、ある夜いくつもの不幸が襲います。
祖父が倒れ、病院へ向かう途中で父が交通事故を起こします。しかも飲酒していたため、父は警察へ連れていかれてしまいました。
それだけではありません。実家の自転車店が火事になり、避難先を求めて恋人の部屋へ向かった小春は、恋人が自分の職場の女性と浮気している現場まで目撃します。
家、仕事、人間関係。自分の人生を支えていたものが一晩で崩れてしまうんです。
放心状態で歩いていた小春が踏切で助けたのが、泉澤大悟でした。
この踏切は、物語の後半でももう一度重要な場所として登場します。
大悟との結婚で家庭が変わる

大悟は病院を経営する医師で、妻を亡くしたあと、一人娘のヒカリを育てていました。
小春を助ける大悟は、まさにおとぎ話の王子様です。
小春の祖父には転院先を紹介し、仕事を失った父には就職先を世話し、大学進学を考える千夏には勉強まで教えてくれます。経済力があり、優しく、小春本人だけでなく家族まで救ってくれる男性。
一気に不幸へ落ちた小春にとって、これほど魅力的な相手はいません。
ヒカリも小春を受け入れ、二人の結婚を喜びます。そして小春、大悟、ヒカリの三人家族が誕生しました。
普通のシンデレラなら、ここで「めでたし、めでたし」です。
ところが『哀愁しんでれら』では、王子様と結婚したところから本当の物語が始まります。
一緒に生活すると、大悟の極端な価値観とヒカリの不可解な行動が少しずつ見えてくるからです。
ヒカリは何をしたのか

検索すると特に気になるのが「結局、ヒカリは何をしたの?」という部分でしょう。
ヒカリは無実の善良な子どもではありません。実際に嘘をつき、小春や学校の人たちを振り回しています。
| 出来事 | ヒカリの言動 | 分かっていること |
|---|---|---|
| 筆箱 | 渉に盗まれたと訴える | 筆箱は自宅トイレから見つかる |
| お弁当 | 学校で作ってもらえないと泣く | 小春は毎日弁当を持たせていた |
| 来実 | 死亡前に来実へ近づく | 突き落とす場面は描かれない |
| 葬儀 | 赤い靴を履きゲームオーバーと発言 | 小春がヒカリを疑う原因になる |
| 靴 | 学校で盗まれたと訴える | 自作自演だったとは確定しない |
最初に決定的な亀裂を生むのが、筆箱です。
ヒカリは好きな同級生の渉に筆箱を盗まれたと訴えます。大悟と小春は学校へ乗り込みますが、渉は盗んでいないと言い続けます。
後日、自宅のトイレが詰まり、業者が中から見つけたのが問題の筆箱でした。
ここで小春はヒカリを問いただしません。
筆箱を海へ捨て、事実そのものをなかったことにします。
私はこの場面が、小春にとって最初の大きな一線だったように感じます。ヒカリの問題と向き合うより、「幸せな家族」を壊さないことを優先したからです。
弁当の嘘で小春も変わる
ヒカリは学校で「お弁当を作ってもらえない」と泣いていました。
もちろん小春は毎朝作っています。それなのに弁当箱は空になって帰ってくるため、小春は何が本当なのか分からなくなります。
そこで小春が取った行動もかなり危ういものです。
おにぎりの中へ5円玉や冷蔵庫のマグネットを入れて、ヒカリが本当に食べているのか試します。
帰宅したヒカリは、それでも「おいしかった」と答えます。
これで小春はヒカリが実際には食べていないことを知りますが、大切なのはヒカリだけがおかしくなっているわけではないことです。
子どもの嘘を確かめるためとはいえ、食べ物へ異物を仕込む小春も、すでに普通の向き合い方から離れ始めています。
◆ふくろうのワンポイント
この映画はヒカリの奇妙な行動へ目を向けさせながら、いつの間にか小春自身も同じ世界へ入っているのが面白いところです。「どちらが正常で、どちらが異常か」という境界が少しずつ消えていくんですよ。
来実を殺したのは誰なのか
ヒカリが好意を寄せている渉は、同級生の来実と仲良くしています。
その様子を見るヒカリには嫉妬しているような表情があります。
そしてある日、来実が教室の窓辺で太陽を見る実験をしているところへヒカリが近づきます。
場面はそこで切り替わり、来実は転落死。
映画の見せ方だけなら「ヒカリが背中を押した」と思っても不思議ではありません。
さらに来実の葬儀では、ヒカリが黒い靴ではなく赤い靴を履きたいと駄々をこねます。
その後もゲームをしながら、来実が邪魔をするから「ゲームオーバー」になったという趣旨の言葉を口にします。
ここまで重なると、私も初見ではヒカリをかなり疑いました。
しかし、ヒカリが来実を突き落とした場面はありません。
終盤では、事件当時に教室にいた女子児童から「ヒカリが殺したんじゃないとみんな知っている」という内容の手紙が渡されます。さらにパンフレット由来の監督回答として紹介されている内容では、ヒカリは来実を突き落としておらず、渉の告発は筆箱事件への仕返しだったとされています。
つまり、ヒカリは嘘をついて渉へ濡れ衣を着せました。その渉が今度はヒカリへ「人殺し」という濡れ衣を着せたことになります。
子どもの嘘が別の嘘を呼び、それを信じた大人が取り返しのつかない行動へ進む。
ここが本作のかなり残酷なところです。
小春が母親失格になる転機
ヒカリへの不信感を募らせた小春は、大悟の趣味の部屋へ入ります。
そこには長年描かれた大悟自身の絵や、白いウサギの剥製、「family」と書かれたスケッチブックなど、大悟の内面を思わせる品々が置かれていました。
そこへヒカリが現れ、小春はウサギの剥製を壊してしまいます。
騒ぎ立てるヒカリに耐えきれなくなった小春は、ついに頬を叩いてしまいました。
すぐに後悔した小春はヒカリへ謝り、
「パパには言わないで」
と頼みます。
これは以前、ヒカリが小春へ「パパには内緒」と話した秘密を、小春が大悟へ話してしまった出来事と重なります。
今度はヒカリが約束を破り、大悟へ話しました。
それを知った大悟は激怒し、小春を母親失格として家から追い出します。
小春が出ていこうとすると、ヒカリは泣きながら引き止めます。
ここで小春が思い出すのが、自分を置いて家を出ていった母親です。
小春は「自分だけはあの母親のようになりたくない」と願ってきたはず。それでも一度はヒカリを振り切り、家を出ていきます。
踏切で小春が選んだもの
家を出た小春が向かったのは、大悟と出会った踏切です。
小春は線路に横たわり、電車が近づいてきます。
そこへ大悟が現れて小春を救い、結婚指輪を再び指にはめて「帰ろう」と声をかけます。
指輪については、パンフレット由来の監督回答では、大悟が落ちていた指輪を拾って保管していたとされています。ヒカリが盗んだという意味ではありません。
そして、この踏切を境に小春の立場が大きく変わります。
それまでの小春は、泉澤家に対してどこか違和感を持つ人物でした。
ところが戻ってからは、外の社会ではなく、泉澤家の側から世界を見る人物になっていきます。
家に戻った三人は、瞳の描かれていなかった家族の肖像画へ青い目を入れます。
家族が完成したように見える場面ですが、同時に三人が外の世界から離れていく始まりにも見えるんですよ。
小春と大悟が起こした事件
その後、ヒカリは泥だらけになって帰宅し、「靴を盗られた」と訴えます。
大悟と小春は学校へ乗り込み、犯人を問い詰めます。
そこへ渉が現れ、来実を殺したのはヒカリだと告発しました。
小春は「うちの子がやるわけない」と反論します。
しかし、小春自身も来実の葬儀後にヒカリが口にした「ゲームオーバー」という言葉を覚えています。心のどこかでは疑っている。それでも母親としてヒカリを守る方を選びます。
やがて泉澤家には「人殺し」という落書きがされ、石まで投げ込まれるようになりました。
家族は完全に追い詰められます。
そして小春は、ヒカリを守るための方法を考えます。
大悟はヒカリの通う学校の校医。学校ではインフルエンザの集団予防接種が予定されていました。
二人はその機会を利用します。
予防接種として児童へ投与する薬剤をインスリンへすり替え、大悟が児童たちへ注射していきます。
本作ではインスリンが終盤の犯行につながる物語上の道具として使われています。現実の医療における投与量や影響を映画の描写だけから一般化するべきではありません。
しかも小春が児童への注射を手伝っている途中、同級生の女子からヒカリ宛ての手紙を渡されます。
そこに書かれていたのが、ヒカリが来実を殺していないことをみんな知っている、という内容でした。
つまり、小春と大悟は娘を「人殺し扱いする学校」から守ろうとして事件を起こしたのに、その前提自体が間違っていたわけです。
守ろうとしていたヒカリは殺人犯ではなかった。それどころか、学校にはヒカリを信じていた子どもまでいました。
にもかかわらず、大人の二人が本当の殺人者になってしまいます。
ラストで何が起きたのか

ラストでは学校の児童たちが次々と倒れ、教室にはヒカリだけが残ります。
小春はドレス姿で教師のようにヒカリへ授業をし、大悟が二人を見守っています。
一見すると幸せな家庭そのものです。
父と母がいて、娘がいて、誰にも邪魔されない。
しかし、その「幸せ」を完成させるために外の人間を排除してしまいました。
これこそ小春がずっと求めていた理想の家庭の、最も恐ろしい完成形です。
◆ふくろうのワンポイント
ここで皮肉なのは、ヒカリが来実を殺したと思わせておきながら、本当に人を殺すのは小春と大悟だということです。「危険な子どもを守る親」の話だと思っていた構図が、最後には完全に反転します。
家族が閉じた世界へ入っていく怖さという点では、周囲との関係が壊れていく映画『クリーピー 偽りの隣人』のネタバレ解説にも通じるものがあります。ただし『哀愁しんでれら』の場合、敵が家の中に侵入してくるのではなく、家族自身が外の世界を敵に変えていくところが特徴です。
哀愁しんでれらのネタバレから結末を読む
出来事だけを追うと、とんでもない一家の物語に見えます。ですが本作で恐ろしいのは、小春たちの願いそのものは最初から異常だったわけではないことです。「良い母親になりたい」「娘を守りたい」「家族で幸せになりたい」という、ごく普通の気持ちが少しずつ形を変えていきます。
ヒカリはサイコパスなのか
ヒカリの言動を見て「サイコパスなのでは?」と思った方もいるでしょう。
ただし、映画はヒカリへ医学的な診断名を与えていません。そのため、ヒカリをサイコパスと断定することはできません。
確かにヒカリには問題行動があります。
渉に筆箱を盗まれたと嘘をつき、小春が作っている弁当を「作ってもらえない」と学校で話し、来実の葬儀後にも死を軽く扱うような言葉を口にしています。
一方で、小春が家を出ようとした時には、本気で泣きながら追いかけています。
ヒカリには人を困らせる面がある。でも小春から捨てられることには怯える。
そう考えると、ヒカリは単純な「悪魔のような子ども」というより、愛されているかを確かめるように周囲を試している子どもとして見る方が本作には合っているかなと思います。
そして、その行動を父・大悟がほとんど無条件で肯定するため、ヒカリが自分の行動と向き合う機会も失われています。
大悟が娘を疑えない理由

大悟はヒカリを溺愛しています。
娘を大切に思うこと自体はおかしくありません。問題は、大悟の中で「娘を守る」と「娘は絶対に間違えない」がほぼ同じ意味になっていることです。
その背景には、大悟自身の幼少期があります。
大悟は子どもの頃にいじめられていました。母・美智代も対応していたものの、大悟は「何もしてくれない」と感じていました。
そして感情的になった母親から叩かれたことで、左耳に障害が残ったと語られます。
大悟にとって「子どもを守ってくれない母親」は、自分を傷つけた存在なんです。
だから小春がヒカリを叩いた瞬間、事情を聞くより先に「母親失格」と切り捨てます。
大悟はヒカリを守ることで、自分が子どもの頃に得られなかったものまで取り返そうとしているように見えます。
その思いが極端になった結果、娘を守ることなら何をしても正しいという価値観へ近づいてしまいました。
小春が引き返せなかった理由
では、小春はなぜ大悟とヒカリから離れなかったのでしょうか。
大悟の価値観に違和感を覚え、ヒカリの嘘にも気づいています。一度は家まで追い出されました。それでも戻ります。
私は、小春にとって「この家族を失うこと」が単なる離婚以上の意味を持っていたからだと思います。
小春は幼い頃、母親に捨てられています。
だから自分は良い母親になりたい。家族を守れる人になりたい。子どもを置いて逃げる母親にはなりたくない。
この願いが、小春自身を縛っていきます。
ヒカリの筆箱が家から見つかった時も、小春は真実を明らかにするのではなく海へ捨てました。
ヒカリを叩いたあとも、「なぜここまで追い詰められたのか」を考えるより、自分が母親として失敗したことに苦しみます。
そして踏切から家へ戻ったあとは、良い母親でいるためにヒカリを疑わない道を選びました。
「娘が間違っている可能性」よりも「娘を疑う母親になってしまうこと」の方が、小春には恐ろしかったのでしょう。
愛情は深ければ深いほど正しいとは限らないという点では、母の行動をどう受け止めるかが印象に残る映画『湯を沸かすほどの熱い愛』のネタバレ考察と比べても面白いです。どちらも「子どものため」という言葉だけでは割り切れない親子関係を描いています。
母娘の共犯性が完成する怖さ
ヒカリは最後の大量殺人を計画したわけでも、児童たちへ注射したわけでもありません。
そのため、犯罪として小春とヒカリを「共犯」と呼ぶのは正確ではありません。
ただ、物語として見ると母娘の間には別の意味での共犯性が生まれていきます。
ヒカリは嘘をつきます。小春はその嘘に気づきながら隠します。
小春がヒカリを叩きます。ヒカリはそれを大悟へ告げます。それでも小春が戻ってくると、今度は三人で「家族」を守る側に立ちます。
誰かが間違えた時に止めるのではなく、家族だからかばう。
家族の外にいる人間より、家族の中で共有する物語を信じる。
その関係が最後まで進んだ結果、三人だけで成立する教室が出来上がります。
だからラストのヒカリは、犯罪の実行犯ではないのに不気味なんです。
父と母が外の世界を消し、自分一人のための場所を作ってくれた。その異常な世界が、三人の中では「幸せな家族」として完成してしまっています。
赤い靴と青い瞳の意味
『哀愁しんでれら』では、色やおとぎ話を思わせる小道具が繰り返し登場します。
特に印象的なのがヒカリの赤い靴です。
来実の通夜という場面で、小春は黒い靴を履かせようとします。それでもヒカリは赤い靴を選びます。
周囲から見れば非常識です。しかし小春は最終的にヒカリの要求を受け入れました。
この場面は、ヒカリのわがままだけでなく、「娘に嫌われたくない小春が境界線を引けなくなっていく場面」として見ると、その後につながって見えます。
また、赤い靴はアンデルセン童話『赤い靴』を連想させます。赤い靴に魅せられ、踊りを止められなくなる少女のように、本作でも登場人物たちは一度進み始めた行動を止められなくなっていきます。
ただし、映画側が赤い靴の意味を一つに限定して明言しているわけではありません。ここはモチーフから読み取れる考え方の一つとして受け止めるのがよいでしょう。
もう一つ印象に残るのが家族の肖像画です。
最初は瞳が描かれていなかった三人の絵に、小春たちは青い瞳を書き込みます。
ようやく家族が完成したような場面。
でも、その直後から三人は外の社会と決定的に離れていきます。
家族が完成した瞬間が、外の世界を見なくなった瞬間でもある。
そう考えると、青い瞳は幸せな家族の完成を祝うだけのものには見えなくなってきます。
左耳と指輪が示すもの
大悟が左耳を触る仕草も、鑑賞後に気になるところです。
大悟は幼少期の出来事で左耳に障害があります。そして物語が進むにつれて、小春やヒカリにも似た仕草が見られるようになります。
パンフレット由来の監督回答として紹介されている内容では、これは大悟の癖が家族へうつったものとされています。
家族と長く暮らしていると、話し方や何気ない仕草が似てくることがありますよね。
本作ではそれがかなり不穏な形で使われています。
小春が大悟の家へ入り、大悟の考え方へ染まり、やがて仕草まで似ていく。三人が一つの家族になる過程を体で見せているように感じます。
結婚指輪も同じです。
小春が泉澤家を離れようとしたあと、大悟は踏切で小春を助け、再び指輪をはめます。
普通なら愛の証しとなる場面ですが、この映画では少し違って見えます。
あの指輪を受け入れたことで、小春は「外へ出る」という道を捨て、もう一度泉澤家の中へ戻るからです。
指輪は結婚の証しであると同時に、小春が自分から再び閉じた家族へ入る象徴にもなっています。
ラストは妄想なのか
ラストがあまりにも現実離れしているため、「踏切以降は小春の妄想なのでは?」という考え方もできます。
学校へ乗り込んで問題を起こしたばかりの大悟と小春が、その後に集団予防接種へ関われるのか。大勢の児童が倒れるまで誰も異変に気づかないのか。
現実として考えると違和感が残ります。
そのため、小春は踏切ですでに死亡しており、その後は願望や幻想だったという読み方も生まれます。
ただし、映画は「ここから先は妄想」と明言していません。
むしろ渡部亮平監督は、制作段階でラストを変更する案が出ても、この結末を残し、そこへ観客が納得して到達できるよう途中の積み重ねを重視したと語っています。
(出典:TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 渡部亮平監督インタビュー)
そのため、基本的には学校での事件まで実際に起きたものとして見る方が素直でしょう。
妄想説は成立しないというより、映画が残した余白を使った別の見方として楽しむのがよさそうです。
タイトルが示す幸せの怖さ
タイトルの『哀愁しんでれら』は、この映画そのものをよく表しています。
小春はまさにシンデレラです。
一晩ですべてを失った女性が、裕福で優しい医師と出会い、美しい服や靴を与えられ、結婚して豪邸で暮らす。
ここだけを切り取れば理想的なおとぎ話でしょう。
でも本作が問いかけるのは「王子様と結婚したあと」です。
小春は幸せになることより、手に入れた幸せを失わないことに夢中になります。
ヒカリの嘘を知っても隠す。夫の考え方に違和感を覚えても離れない。家族が批判されると、相手側を敵として見る。
そうやって「幸せな家族」を守り続けた先にあるのが、誰にも邪魔されない最後の教室です。
小春の願いは叶ったようにも見えます。
王子様がいる。娘がいる。三人を否定する人はいない。
でも、それを幸せと呼べるのか。
映画の冒頭から続いていた問いが、最悪の形で観客へ返ってくるラストです。
原作や実話はあるのか
『哀愁しんでれら』に、映画より先に存在した原作小説はありません。
渡部亮平監督によるオリジナル脚本を基に制作された作品です。
秋吉理香子による『哀愁しんでれら もう一人のシンデレラ』という小説がありますが、映画の元になった原作小説ではなく、映画企画を基に作られた関連作品です。
また、特定の実際の大量殺人事件を映画化した作品でもありません。
渡部監督は、短期間で結婚した知人から感じた怖さや、親子をめぐるニュースなど、さまざまな発想から物語を作っています。
そのため「この事件がモデル」という一つの実話を探す作品ではなく、身近な家族観や結婚観が少しずつずれていく怖さを見る映画だと考えた方が内容をつかみやすいです。
哀愁しんでれらのよくある質問
Q1. ヒカリは来実を殺したのですか?
A. ヒカリが来実を突き落とした場面は描かれておらず、終盤ではヒカリが犯人ではないことを示す手紙が登場します。パンフレット由来の監督回答として紹介されている内容でも、ヒカリは来実を突き落としておらず、渉の告発は筆箱事件への仕返しだったとされています。
Q2. ヒカリは何について嘘をついたのですか?
A. はっきりしているのは筆箱と弁当です。渉に筆箱を盗まれたと訴えますが、後に自宅のトイレから見つかります。また、小春が毎日弁当を用意しているにもかかわらず、学校では作ってもらえないと話していました。靴を盗まれた件については、自作自演だったとは確定していません。
Q3. 最後に小春と大悟は何をしたのですか?
A. 学校で行われる集団予防接種を利用し、児童たちへインスリンを投与します。ヒカリを守るために学校の子どもたちを排除しようとした行為であり、真面目だった小春が起こす「社会を震撼させる凶悪事件」の正体です。
Q4. ラストは小春の妄想なのでしょうか?
A. 妄想だったとは映画内で明言されていません。現実離れした展開から妄想説も考えられますが、監督は大量殺人へ至るラスト自体を重要なものとして残しています。そのため、基本的には実際に起きた出来事として受け止め、妄想説は別の読み方の一つと考えるのが自然です。
Q5. 哀愁しんでれらは実話や原作がある映画ですか?
A. 特定の事件をそのまま映画化した実話作品ではなく、渡部亮平監督によるオリジナル脚本です。関連小説『哀愁しんでれら もう一人のシンデレラ』はありますが、映画より先に存在した原作小説ではありません。
哀愁しんでれらのネタバレまとめ
『哀愁しんでれら』を振り返ると、やはりヒカリだけを「恐ろしい子ども」として終わらせるのはもったいない映画です。
- ヒカリは筆箱や弁当について嘘をついていた
- ヒカリは来実へ近づいたが突き落としたとは描かれていない
- 終盤の手紙ではヒカリが来実を殺していないことが示される
- 渉の告発は筆箱事件への仕返しだったとされている
- 小春はヒカリの嘘を知りながら筆箱を捨てて隠した
- 小春は追い詰められた末にヒカリへ暴力を振るった
- 大悟は娘を守ることを絶対的な正義にしていた
- 最後は小春と大悟が学校の児童たちを死へ追いやる
- 殺人をしていないヒカリを守るため両親が殺人者になる
最初の小春が求めていたのは、ごく普通の幸せでした。
良い母親になりたい。娘を大切にしたい。家族三人で幸せに暮らしたい。
どれも、それだけなら怖い願いではありません。
しかし小春は「良い母親でいること」を守るためにヒカリの問題から目をそらし、大悟は「娘を守ること」を理由に娘を疑わなくなります。
そして最後には、家族の幸せを守るためなら外の人間を消してもいいというところまで進んでしまいました。
『哀愁しんでれら』最大の皮肉は、殺人を犯していないヒカリを守るために、小春と大悟の方が本当の殺人者になったことです。
しかも、ヒカリを信じていた子どもまで学校にはいました。
敵だと思っていた相手が、本当は敵ではなかった。
それでも一度「私たち家族対それ以外」という世界へ入ってしまった小春たちは、もう引き返せません。
私は、この映画の本当の怖さは大量殺人そのものより、そこへ至るまでの小さな選択にあると思います。
筆箱を捨てる。娘を疑わない。家族だからかばう。幸せを壊す事実を見ない。
一つ一つなら取り返せそうだった選択が積み重なり、最後には三人だけの「幸せな世界」が完成してしまいました。
あなたには、最後の教室にいる三人が幸せそうに見えたでしょうか。
そこにこそ、『哀愁しんでれら』という残酷なおとぎ話が残した、一番嫌な後味があるのだと思います。