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映画『マチルダ』ネタバレ考察|結末・超能力・ケーキの意味を解説

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こんにちは、物語の知恵袋のふくろうです。

映画『マチルダ』を観ていると、最初は「頭のいい女の子が悪い大人を懲らしめる楽しい映画」に見えます。しかし結末までたどると、かなり踏み込んだ物語だったことに気づきます。

なかでも私が印象に残ったのは、マチルダが最後に実の両親と別れ、ミス・ハニーの養女になるところでした。血のつながった家族との別れをハッピーエンドとして描くのは、子ども向けの作品として考えるとなかなか大胆ですよね。

そして、物語の途中で突然現れる超能力や、ブルースが巨大なチョコレートケーキを食べさせられる場面にも、単なる面白い演出では終わらない意味が込められているように感じます。

『マチルダ』は、理不尽な大人に人生を決められてきた少女が、自分自身で「誰と、どこで、どう生きるか」を選べるようになるまでの物語として見ると、超能力からラストまでが一本につながって見えてきます。

この記事では、1996年公開の映画『マチルダ』のストーリーを結末までネタバレでたどりながら、超能力やケーキのお仕置き、トランチブル校長、そして家族というテーマについて考えていきます。

ここから映画『マチルダ』の結末までネタバレを含みます。未鑑賞で内容を知りたくない方はご注意ください。

この記事でわかること

  • 映画『マチルダ』のあらすじと結末

  • マチルダの超能力が表しているもの

  • チョコレートケーキのお仕置きの意味

  • 実の家族と別れるラストの考察

映画『マチルダ』はどんな話?

映画『マチルダ』のワームウッド一家をイメージした両親と兄妹
映画『マチルダ』のワームウッド一家をイメージした両親と兄妹

1996年の映画『マチルダ』は、並外れた知性を持ちながら家族に理解されない少女が、学校で出会った教師ミス・ハニーや友人たちとの関わりを通して、自分の人生を取り戻していくファンタジー・コメディです。

1996年公開の作品情報

『マチルダ』は、ロアルド・ダールの児童文学『マチルダは小さな大天才』を原作とする1996年のアメリカ映画です。監督はダニー・デヴィートで、マチルダの父ハリー役として出演もしています。

項目内容
邦題マチルダ
原題MATILDA
製作年1996年
製作国アメリカ
上映時間98分
ジャンルコメディ/ファンタジー
監督ダニー・デヴィート
主演マーラ・ウィルソン

ソニー・ピクチャーズ公式でも、1996年のファミリー向けコメディとして紹介されています。(出典:ソニー・ピクチャーズ公式『MATILDA』

原作の公式紹介でも、マチルダは非常に賢い少女でありながら両親から厄介者のように扱われ、トランチブル校長に立ち向かって自分の物語を変えていく人物として描かれています。(出典:Roald Dahl公式『Matilda』

主な登場人物とキャスト

マチルダ・ワームウッドを演じるのはマーラ・ウィルソンです。幼い頃から計算や読書で並外れた才能を見せ、自分の力で本を読み、知識を身につけていきます。やがて物を触らずに動かせる超能力にも目覚めます。

ミス・ハニーを演じるのはエンベス・デイヴィッツ。マチルダの担任教師で、彼女の才能と人柄を初めて正面から認めてくれる大人です。ただし、本人もトランチブルによって長く苦しめられてきた過去を持っています。

アガサ・トランチブル校長はパム・フェリスが演じます。子どもを嫌い、暴力と恐怖によって学校を支配する本作最大の悪役です。

そしてマチルダの父ハリーを監督でもあるダニー・デヴィート、母ジニアをリー・パールマンが演じています。

物語を理解するポイントは人物同士の対比です。マチルダを「理解しない両親」「支配するトランチブル」「理解してくれるミス・ハニー」という三方向から見ると、本作のテーマがかなり分かりやすくなります。

マチルダのあらすじをネタバレ

ここからは映画『マチルダ』のストーリーを、誕生から学校生活、超能力の覚醒、トランチブルとの対決まで順番にたどっていきます。

家族に理解されない天才少女

マチルダ・ワームウッドは、ハリーとジニア夫妻のもとに生まれました。しかし両親は、娘の才能どころかマチルダ本人にほとんど関心を向けません。

父ハリーは中古車販売で金を稼ぐことばかり考え、母ジニアは外出や娯楽を優先。兄マイケルも父からかわいがられている一方、マチルダは家族の中で浮いた存在になっています。

ところがマチルダは幼い頃から驚くほど賢い少女でした。家にある本を読み終えると、一人で図書館へ通うようになり、子ども向けの本だけでなく文学作品まで次々と読んでいきます。

それでも両親は娘の才能を褒めません。それどころか本を読むこと自体を馬鹿にし、テレビを見ることを押しつけます。

この時点ですでに、マチルダと家族の問題は「頭の良さ」だけではないことが分かります。お金やテレビを大切にする両親と、本や学ぶことに喜びを感じるマチルダでは、同じ家に暮らしていても見ている世界がまったく違うのです。

父ハリーへの反撃が始まる

さらに父ハリーは、粗悪な中古車をごまかして販売する悪質な商売を続けています。マチルダは幼いながら、その行為がおかしいことに気づいていました。

父から理不尽に叱られ続けたマチルダは、やがて小さないたずらで反撃するようになります。ヘアトニックへ細工をしたり、帽子に接着剤を塗ったりと、その仕返しはかなり漫画的です。

私はこのあたりが『マチルダ』らしいところだと思います。現実の子どもには大人へ対抗する権力がほとんどありません。そこで映画は、子どもが心の中で想像する「悪い大人にちょっと仕返ししてやりたい」という願望をコメディに変えています。

そして父がマチルダの本を破り、無理やりテレビを見せようとしたとき、怒りが頂点に達したマチルダの目の前でテレビに異変が起こります。後に明らかになる超能力の前触れです。

学校でミス・ハニーと出会う

やがてマチルダは、ようやく念願だった学校へ通えることになります。

そこで出会った担任教師がミス・ハニーでした。彼女は簡単な計算問題を出しただけで、マチルダが同年代の子どもとは比べものにならない知性を持っていることに気づきます。

そして、もっと高度な教育を受けさせるべきだと考え、校長や両親へ働きかけます。

マチルダにとって、これは非常に大きな出来事でした。家族からずっと否定されてきた少女が、生まれて初めて「あなたには才能がある」と認めてもらえたからです。

◆ふくろうのワンポイント

ミス・ハニーが大切なのは、単に優しい先生だからではありません。マチルダを「変わった子ども」ではなく、一人の人間として見てくれた最初の大人なんですよね。この出会いが、最後の養子縁組につながっていきます。

トランチブル校長の恐怖支配

ところが、マチルダが入学したクランチェム・ホールには、とんでもない人物がいました。校長のアガサ・トランチブルです。

トランチブルは子どもを嫌い、問題を起こした生徒を狭い懲罰室へ閉じ込めるなど、罰とは呼べないような仕打ちを平然と行います。身体能力も並外れており、生徒を投げ飛ばす場面まであります。

現実の学校として見ると、さすがにあり得ない人物でしょう。ただ、本作におけるトランチブルは現実的な校長というより、子どもの目に映る「絶対に逆らえない恐ろしい大人」を怪物のように誇張した存在だと考えるとしっくりきます。

家庭では父親に支配され、学校へ行けばトランチブルに支配される。マチルダは場所を変えても、大人から理不尽に扱われる立場から抜け出せません。

超能力に目覚めるマチルダ

ある日、クラスメートのラベンダーがトランチブルの水差しへイモリを入れるいたずらをします。

激怒したトランチブルはマチルダを疑います。当然、マチルダは何もしていません。それでも校長は子どもの言葉など聞こうとせず、一方的に責め立てます。

その理不尽さにマチルダの怒りが高まった瞬間、触れていないコップが動きます。

ここでマチルダは、自分には物を動かせる能力があるのではないかと気づきます。最初は自由に使えませんでしたが、その後、自宅で何度も試しながら徐々に念力を操れるようになりました。

つまり能力は何の前触れもなく付け足されたのではなく、以前のテレビの異変から少しずつ示されていたわけです。

ケーキのお仕置き場面を考察

映画『マチルダ』で巨大なチョコレートケーキを食べ切り、顔をチョコまみれにして喜ぶ少年ブルース
イメージ:映画『マチルダ』で顔をチョコまみれにして喜ぶ少年ブルース

『マチルダ』を観た人が忘れにくい場面の一つが、少年ブルースに巨大なチョコレートケーキを食べさせるお仕置きです。少し笑える場面に見えますが、物語全体を考えると重要な転換点でもあります。

ブルースはなぜケーキを食べる?

トランチブルは、自分のチョコレートケーキを食べたとされる少年ブルースを大勢の生徒の前へ呼び出します。

そして罰として、巨大なケーキを一人で最後まで食べ切るよう命令しました。

最初だけを見ると、ケーキを食べることが罰になるのかと思いますよね。しかし量は到底普通ではなく、ブルースは途中から明らかに苦しみ始めます。

ここにトランチブルの異常さがあります。普通なら誕生日やご褒美を連想するチョコレートケーキが、彼女の手にかかると恐怖の道具になってしまうのです。

楽しいものまで罰へ変えてしまうことが、トランチブルによる学校支配を象徴しています。

ケーキは子どもの連帯を表す

ただ、この場面で本当に注目したいのはブルースだけではありません。周囲の子どもたちです。

最初、生徒たちはトランチブルを恐れて黙って見ています。ところがブルースが必死にケーキを食べ続けると、マチルダをきっかけに子どもたちが応援し始めます。

やがてブルースは巨大なケーキを完食。トランチブルが想像していた「見せしめ」は、逆に子どもたちが一緒になって喜ぶ場面へ変わります。

ケーキの場面は、終盤の反乱につながる最初の一歩です。それまで一人ずつトランチブルに怯えていた生徒たちが、「みんなでなら抵抗できる」と知り始める瞬間になっています。

だからこそ、映画『マチルダ』のチョコレートケーキは単なる印象的なお仕置きではありません。子どもたちの関係が「恐怖による沈黙」から「仲間を応援する連帯」へ変化する場面なのです。

ミス・ハニーの過去を解説

物語後半では、マチルダだけでなくミス・ハニーもまた、トランチブルによって人生を支配されてきた人物だったことが分かります。この共通点が二人を結びつけていきます。

ミス・ハニーも虐げられていた

ミス・ハニーは幼い頃に母を亡くし、その後、父マグナスのもとへ親族のトランチブルがやって来ます。

しかしトランチブルは幼いミス・ハニーを大切に育てるどころか、恐怖によって支配しました。そして父マグナスまで亡くなったあと、家や財産もトランチブルのものになってしまいます。

大人になったミス・ハニーは教師として働いていますが、かつての家へ戻ることもできず、質素な生活を続けています。

つまり彼女もまた、マチルダと同じように「本来守ってくれるはずの大人に人生を支配された子ども」だったわけです。

父マグナスは殺されたのか

ミス・ハニーの父マグナスの死については、少し注意して見た方がよいでしょう。

劇中では父の死が自殺として扱われる一方、その後トランチブルが屋敷や財産を手にしているため、彼女が死に関係していたのではないかという疑惑が浮かびます。

ただし、映画は犯罪事件の真相を追う作品ではなく、トランチブルがマグナスを殺害したことを具体的な証拠とともに確定する展開にはなっていません。

そのため「トランチブルが殺した」と断言するより、映画では殺害を疑わせる描写がある、と捉えるのが自然でしょう。

物語において大切なのは犯行方法ではなく、父を失ったあともミス・ハニーが長年トランチブルから逃れられなかったことです。

屋敷への侵入が怖い理由

マチルダとミス・ハニーは、トランチブルが暮らしているかつてのハニー家へ向かいます。

留守中に屋敷へ入りますが、トランチブルが予想より早く帰ってきてしまいます。ここから映画の雰囲気が一変し、まるでホラー映画のような展開になります。

何かが少し動いただけでもトランチブルは異変に気づきます。見つかったら何をされるか分からない。そう思わせるほど、これまで彼女の暴力的な行動が積み重ねられてきました。

普段はかなりコミカルな映画なのに、トランチブルの屋敷だけ妙に怖い。この落差も『マチルダ』の面白さです。

マチルダの超能力を考察

映画『マチルダ』をイメージした少女が一人でシリアルの朝食を用意する場面
映画『マチルダ』をイメージした少女が一人で超能力で朝食を用意する場面

映画『マチルダ』で気になる最大の謎の一つが超能力でしょう。物語上では念力として描かれていますが、なぜマチルダだけが能力を持つのかについて詳しい説明はありません。

超能力はなぜ現れたのか

マチルダの能力が最初にはっきり現れるのは、理不尽な扱いを受け、怒りが高まったときです。

家では父に本を破かれ、学校ではトランチブルから濡れ衣を着せられる。マチルダは誰より状況を理解しているのに、「子どもだから」という理由で話を聞いてもらえません。

つまり彼女には頭の中で状況を理解する能力があっても、それを現実へ反映する権限がなかったのです。

そんな少女が突然、実際に物を動かせるようになる。

私はここに大きな意味があると思っています。

◆ふくろうのワンポイント

超能力を「突然追加されたファンタジー設定」と見るより、ずっと周囲から押さえつけられてきたマチルダが、初めて自分の意思で現実を動かせるようになったことの象徴と見ると、物語の流れがかなり自然になります。

超能力は自立の象徴なのか

マチルダには、幼い頃から大量の知識がありました。しかし家族はその能力を評価せず、学校に通うことさえ遅らせます。

彼女の中には知性も感情もあるのに、それを使える場所がない状態が続いていたわけです。

そこで現れたのが超能力でした。

「自分では何も変えられない子ども」だったマチルダが、「自分で状況を変えられる存在」になる。その変化を目に見える形にしたものが念力だと考えられます。

面白いのは、マチルダが能力を得たからといって無差別に人を傷つけないところです。

対するトランチブルも圧倒的な身体能力と権力を持っています。しかし彼女は、その力を子どもを支配するために使います。

マチルダは人を助けるために使う。

つまり本作が問いかけているのは、力を持っているかどうかではなく、その力を何のために使うのかなのでしょう。

超能力が最後の目的ではない

もう一つ面白いのが、これほど便利な超能力を手に入れたのに、映画の最後では能力そのものがほとんど重要ではなくなることです。

マチルダは世界を救うヒーローになりません。巨大な悪の組織と戦うわけでもなく、超能力者として有名になる未来も描かれません。

彼女が最後に手に入れるのは、ミス・ハニーと本を読んだり、笑ったりしながら過ごせる生活です。

これを「超能力を生かし切れていない」と感じる見方もあるでしょう。しかし私は、むしろそこが本作の核心だと思います。

マチルダが欲しかったのは特別な力ではありません。自分を理解してくれる誰かと安心して暮らせる、ごく普通の日常だったからです。

結末と最後をネタバレ解説

終盤では、マチルダが自在に使えるようになった超能力を利用し、トランチブルへの反撃を開始します。しかし最終的な勝利はマチルダ一人だけによるものではありません。

トランチブルを追放する

マチルダは、亡くなったミス・ハニーの父マグナスが戻ってきたように見せかけます。

念力でチョークを動かし、黒板へメッセージを書くことで、まるでマグナスの霊がトランチブルへ警告しているように演出するのです。

それまで他人を恐怖で支配してきたトランチブルが、今度は自分自身の恐怖に追い詰められます。

ここが実に皮肉です。

マチルダは単純に「もっと大きな暴力」でトランチブルを倒すのではありません。トランチブル自身が人々へ与えてきた恐怖を、本人へ返す形で追い詰めています。

子どもたちも最後に反撃する

トランチブルが動揺すると、それまで怯えていた生徒たちも一斉に立ち上がります。

ここで、先ほどのケーキの場面がつながってきます。

ブルースのお仕置きでは、子どもたちは仲間を応援するところまででした。しかし最後には、自分たち自身もトランチブルへ抵抗します。

マチルダがきっかけを作ったのは間違いありません。ただ、トランチブルの支配を本当に終わらせたのは、生徒たちが「もう一方的に怯えない」と行動したことでもあります。

ケーキの場面で生まれた小さな連帯が、ラストでは学校全体の反乱へ発展します。だからケーキのエピソードは、終盤への伏線としても見ることができます。

ついにトランチブルは学校から逃げ去り、子どもたちを恐怖で支配していた時代は終わりました。

ミス・ハニーも人生を取り戻す

トランチブルがいなくなったことで、ミス・ハニーは父と暮らしていた家や財産を取り戻します。

ここで救われたのは子どもたちだけではありません。大人であるミス・ハニーもまた、マチルダによって長年の恐怖から解放されます。

普通の児童向け作品なら「優しい大人が子どもを救う」という構図になりそうですが、『マチルダ』では逆方向の救いも描かれています。

ミス・ハニーはマチルダの才能と心を救い、マチルダはミス・ハニーを過去の支配から救う。

二人は年齢こそ違いますが、どちらか一方だけが守る関係ではありません。

マチルダは家族と別れる

一方、父ハリーの悪質な中古車販売にはFBIの捜査が迫っていました。

ワームウッド一家は逃亡を決め、当然のようにマチルダも連れていこうとします。

しかしマチルダは、ここで実の家族について行くことを拒みます。

そしてミス・ハニーの養女になりたいと伝え、以前から用意していた養子縁組の書類へ両親の署名を求めます。

ハリーとジニアは最終的に署名。こうしてマチルダは実の家族と別れ、ミス・ハニーと暮らすことになりました。

その後、二人が本当の親子のように穏やかに暮らす姿が描かれ、映画は幕を閉じます。

家族と別れる結末を考察

映画『マチルダ』をイメージしたミス・ハニーとマチルダが家の前で親子のように寄り添うラストシーン
映画『マチルダ』をイメージしたミス・ハニーとマチルダが家の前で親子のように寄り添うラストシーン

『マチルダ』の最後を考えるうえで、最も大切なのが「なぜ実の家族と別れることがハッピーエンドなのか」という点です。ここには本作ならではの家族観があります。

両親はなぜ娘を理解できない?

ワームウッド夫妻がマチルダを理解できない理由は、娘が天才すぎるからだけではありません。

そもそも両親は、マチルダが何を好きなのか、何を学びたいのか、何に傷ついているのかを知ろうとしません。

父はお金や商売を重視し、母は外見や娯楽を優先します。一方、マチルダは読書や知識に価値を感じています。

価値観が違うこと自体は悪いことではありません。しかし両親には、その違いを知ろうとする姿勢がほとんどありませんでした。

同じ家に住み、血がつながっていても、お互いを知らないまま。ワームウッド家の寂しさはそこにあります。

なぜ別れが幸せなのか

一般的な家族映画なら、最後に両親が改心して「今まで悪かった」と謝り、マチルダと仲直りする結末も考えられます。

ところが『マチルダ』はそうしません。

両親は完全に生まれ変わるわけではなく、マチルダも無理に家族へ戻ろうとはしません。

私はこの結末がかなり印象に残りました。

本作が描いているのは「血のつながりがあれば必ず一緒にいるべき」という考えではなく、自分を尊重し、理解し、安心して暮らせる相手がいる場所こそ家になり得る、という家族観ではないでしょうか。

マチルダは自分が生まれる家庭を選べませんでした。

しかし最後には、これから自分が生きていく場所を自分で選びます。

超能力で物を動かせるようになったこと以上に、こちらの方がマチルダにとって大きな成長だったように思います。

ミス・ハニーも救われている

このラストが温かいのは、マチルダだけが一方的に救われているわけではないところです。

ミス・ハニーも父を失い、幼少期をトランチブルに支配され、自分の家まで奪われていました。大人になっても一人で暮らし、心の中には過去への恐怖が残っています。

そこへマチルダが現れます。

自分を必要としている子どもと出会ったミス・ハニーは、教師としてだけでなく家族としてマチルダを迎えます。

孤独だった少女と、孤独だった大人。

二人がお互いに新しい家族を見つけることによって、物語が完成するのです。

◆ふくろうのワンポイント

天才的な頭脳も超能力も持っているマチルダが、最後に手に入れた最大の宝物は特別な力ではなかったと思います。安心して本を読み、自分を理解してくれる人と笑って暮らせる。そんな普通の幸せこそ、彼女がずっと欲しかったものなのでしょう。

トランチブル校長の意味を考察

トランチブルは現実離れした悪役ですが、単に怖いだけの人物として見るより、マチルダとの対比から考えると役割がはっきりしてきます。

怪物のような大人の象徴

トランチブルがなぜそこまで子どもを嫌うのかについて、映画は詳しい過去を説明しません。

そのため「本人にも何か過去があったのでは」と想像することはできますが、重要なのは理由そのものではないでしょう。

トランチブルは、大人が持つ権力を子どもへ向けて乱用した存在です。

校長という立場、圧倒的な身体能力、子どもが反論できない環境。それらをすべて利用して、学校を自分の思い通りにしています。

一方、マチルダも最後には普通の人にはない超能力を持ちます。

しかしマチルダは、その力を自分より無力な人を苦しめるためには使いません。

トランチブルとマチルダの違いは、力の大きさではなく使い道なのです。

恐怖で支配した者が敗れる

トランチブルはずっと、子どもたちへ恐怖を植えつけることで学校を支配してきました。

ところが終盤では、亡くなったマグナスの霊を装ったマチルダによって、今度はトランチブル本人が恐怖に包まれます。

そして彼女が怯んだ瞬間、子どもたちは支配から抜け出します。

つまりトランチブルの権力は、実は「全員が彼女を怖がっている」という状態に支えられていたとも言えます。

その恐怖が崩れると、絶対的に見えていた校長も学校に居続けることができません。

少し乱暴で漫画的な決着ではありますが、物語としては非常に分かりやすい因果応報になっています。

大人にも響く映画である理由

映画『マチルダ』をイメージした少女が小さなかばんを持ち、緑豊かな住宅街の道に一人で立つ場面
映画『マチルダ』をイメージした少女が小さなかばんを持ち、緑豊かな住宅街の道に一人で立つ場面

『マチルダ』は子どもが楽しめるファンタジーですが、大人になってから観直すと、子どもの頃とは別の部分が目に入ってくる作品でもあります。

ブラックユーモアが支えている

物語だけを文字にすると、『マチルダ』はかなり重い内容です。

娘へ関心を向けない両親、悪質な商売をする父親、学校での体罰、恐怖による支配、ミス・ハニーのつらい過去。

これだけなら暗い家庭ドラマになっても不思議ではありません。

ところが映画は、極端な人物造形や派手ないたずら、超能力、テンポのよい演出によって、それらをブラックユーモアへ変えています。

トランチブルも、本気で考えれば非常に恐ろしい人物なのに、あまりにも行動が極端なので笑えてしまう瞬間があります。

この「笑っていたのに、よく考えると怖い」という感覚が作品独特の味になっています。

大人だって怖いという言葉

マチルダとミス・ハニーの関係を象徴しているのが、大人にも怖いものがあるという考え方です。

子どもからすると、大人は何でも知っていて、自分で何でも決められる存在に見えます。

しかし大人になったミス・ハニーでさえ、トランチブルを恐れていました。

逆に、子どもであるマチルダが大人のミス・ハニーを助けます。

本作では「大人だから守る側、子どもだから守られる側」という関係が固定されていません。

大人にも恐怖がある。そして子どもにも誰かを助けることができる。

この視点があるからこそ、ミス・ハニーとマチルダは教師と生徒だけではなく、互いを必要とする家族になれたのでしょう。

映画『マチルダ』のFAQ

最後に、1996年の映画『マチルダ』について、あらすじや結末を調べている方が気になりやすい疑問へまとめて答えます。

映画『マチルダ』のよくある質問

Q1. 映画『マチルダ』はどんな話ですか?
A. 家族から理解されない天才少女マチルダが、学校でミス・ハニーと出会い、暴力的なトランチブル校長へ立ち向かう物語です。後半では念力のような超能力にも目覚め、最後には自分が本当に暮らしたい家族と居場所を選びます。

Q2. マチルダの超能力にはどんな意味がありますか?
A. 映画では念力として描かれますが、物語上の象徴としては、周囲の大人から押さえつけられてきたマチルダが「自分で状況を変える力」を得たことを表していると考えられます。能力そのものより、自分の人生を選べるようになることが重要です。

Q3. ケーキを食べる少年は誰ですか?
A. ブルース・ボグトロッターです。トランチブルのチョコレートケーキを食べた罰として、巨大なケーキを大勢の生徒の前で完食するよう命じられます。この場面では生徒たちがブルースを応援し始め、後の反乱につながる連帯が生まれます。

Q4. マチルダは最後に誰と暮らしますか?
A. 実の両親とは別れ、担任教師だったミス・ハニーの養女になります。マチルダ自身がミス・ハニーと暮らすことを望み、両親が養子縁組の書類へ署名します。二人が本当の親子のように暮らす姿が映画のハッピーエンドです。

Q5. トランチブルはマグナスを殺したのですか?
A. ミス・ハニーの父マグナスの死にはトランチブルの関与を疑わせる要素がありますが、映画では殺害の具体的な経緯を犯罪事件のように確定していません。そのため、トランチブルが関係していた可能性を示唆する描写として捉えるのが自然です。

まとめ|マチルダが得た本当の力

映画『マチルダ』は、天才少女が超能力を使って悪い大人を懲らしめるだけの作品ではありません。

マチルダは幼い頃から知性に恵まれていましたが、両親には理解されず、学校へ通えばトランチブルによる恐怖支配に巻き込まれます。

そんな彼女を初めて一人の人間として見てくれたのがミス・ハニーでした。

そしてマチルダが手に入れる超能力は、自分の意思では何も変えられなかった少女が、自分で状況を動かせるようになる変化を象徴していると考えられます。

巨大なチョコレートケーキのお仕置きも同じです。本来はトランチブルによる見せしめでしたが、ブルースを応援する声が広がったことで、生徒たちが初めて一緒に抵抗する場面へ変わります。その連帯が最後のトランチブル追放へつながりました。

そして何より印象的なのがラストです。

マチルダは実の家族について行かず、自分を理解してくれるミス・ハニーと暮らすことを選びます。

血のつながった家族との別れを幸福として描くことには、少し寂しさもあります。しかしマチルダにとって大切だったのは、血縁そのものではありませんでした。

自分の話を聞いてくれる人がいること。本を好きなだけ読めること。安心して学校へ通えること。そして愛されていると感じられること。

天才的な頭脳と超能力を持った少女が最後に望んだものは、驚くほど普通の幸せだったのです。

『マチルダ』で本当に描かれている「力」とは、物を動かす能力ではなく、自分を大切にしてくれる人を信じ、自分の人生を自分で選ぶ力なのかもしれません。

子どもの頃に観れば、悪い大人をやっつける痛快なファンタジー。大人になって観れば、「家族とは何か」「子どもを理解するとはどういうことか」を考えさせられる物語。

あなたはマチルダが実の家族と別れた最後を、どんなハッピーエンドだと感じたでしょうか。

-コメディ/ライトエンタメ