
こんにちは、物語の知恵袋のふくろうです。
『イット・フォローズ』を観終わったあと、私が一番気になったのは「それを本当に倒せたのか?」ということでした。
性行為をきっかけに標的が移り、歩く速さでどこまでも追ってくる「それ」。設定だけ聞けばルールがはっきりした怪物に思えますが、映画を最後まで観ると、実は分からないことだらけなんですよね。
ヒューの説明はどこまで正しいのか。冒頭で殺された女性は誰なのか。プールで血を流した「それ」は死んだのか。そして、ラストでジェイとポールの後ろを歩いている人物は普通の人なのか。
私は、この曖昧さこそが『イット・フォローズ』の面白さだと思っています。怪物を倒して終わる映画ではなく、「また来るかもしれない」という不安を抱えたまま生きていく映画だからです。
この記事でわかること
- 『イット・フォローズ』のあらすじと結末
- 怪異「それ」のルールと正体の考察
- 冒頭の女性とヒューの関係についての仮説
- ラストの人物とジェイたちのその後
ここから映画『イット・フォローズ』の結末までネタバレしています。未鑑賞でラストを知りたくない方は、映画を観てから読み進めてください。
イット・フォローズのあらすじ

まずは「それ」の正体を考える前に、ジェイがヒューと出会ってからラストまでの出来事を確認していきます。『イット・フォローズ』は説明の少ない映画ですが、感染の順番を追うとかなり見えやすくなります。
冒頭の女性アニーの死
映画は、一人の若い女性が家から飛び出してくる場面から始まります。周囲の人には何も見えていないようですが、彼女だけは明らかに何かを恐れていました。
女性は車で遠くまで逃げ、夜の海辺で父親へ電話をかけます。しかし翌朝、彼女は身体を激しく損傷した状態で死亡していました。
この女性はアニーと呼ばれています。
初見では「怪物の恐ろしさを見せるための最初の犠牲者」にも見えます。ただ、物語を最後まで観ると、アニーの死とヒューが再び「それ」に追われ始める時期がつながっている可能性が見えてきます。
ヒューからジェイへ感染
主人公ジェイは、恋人のヒューと映画館へ出かけます。
そこでヒューは、ジェイには見えていない黄色い服の女性を見つけ、突然その場から逃げ出しました。この時点ですでにヒューは「それ」に追われています。
その後、二人は車の中で性交渉をします。
ところが直後、ヒューはジェイを薬で眠らせ、車いすに拘束。そこでジェイは初めて、ゆっくり近づいてくる裸の女性を目撃します。
ヒューはジェイに、自分が持っていたものを移したと説明しました。
◆ふくろうのワンポイント
ここが本作の怖いところです。ヒューはジェイを襲いたいわけではなく、自分が生き延びるために別の人へ危険を渡しています。「それ」だけでなく、人間の恐怖や自己防衛まで連鎖していくんですよね。
グレッグの死と感染の逆戻り
ジェイの周囲には、妹のケリー、友人のヤラ、幼なじみのポール、近所に住むグレッグが集まります。
最初はジェイにしか見えなかった「それ」ですが、扉を破壊するなど物理的な影響を与えるため、単なる幻覚とも言い切れません。
追い詰められたジェイはグレッグと関係を持ち、標的を彼へ移します。
ところがグレッグには「それ」がなかなか現れません。そのため彼はジェイの話を完全には信じていない様子でした。
しかしある夜、「それ」はグレッグの母親の姿で家へ侵入します。
グレッグは死亡。そしてジェイの前に再び「それ」が現れました。
ここでヒューが説明した、「現在の標的が殺されると、一つ前の人物へ戻る」というルールが、少なくとも作中ではかなり現実味を帯びます。
プールで怪異を迎え撃つ
逃げ続けるだけでは終わらないと考えたジェイたちは、屋内プールへ「それ」を誘い込み、倒そうとします。
プールの周囲にはテレビや家電製品が並べられていました。
ジェイが水の中へ入り、「それ」が追ってくるのを待つ作戦です。
ところが「それ」は簡単には罠にかかりません。逆に家電をジェイへ投げつけ、仲間たちを追い詰めます。
最後はポールたちの銃撃によって「それ」が水中へ沈み、プールには血が広がりました。
見た目だけなら倒したようにも見えます。
しかし、これで完全に死んだと映画は一度も示していません。
ジェイとポールの結末
プールでの戦いを終えたあと、ジェイとポールの関係は一歩進みます。
映画は二人が関係を持ったことを強く示唆しています。そのため、それまでジェイを追っていた「それ」がポールへ移ったと考えることもできます。
その後、ポールは車で街を走り、路上にいる女性たちへ視線を向けます。
彼が誰かへ感染を移そうとしたのか。それとも、ただ女性たちを見ていただけなのか。
そこは描かれません。
そして最後、ジェイとポールは手をつないで住宅街を歩きます。
二人の後ろには、一人の人物。
その人物が「それ」なのか普通の通行人なのか分からないまま、映画は終わります。
怪異「それ」のルール
『イット・フォローズ』には独特のルールがあります。ただし大切なのは、私たちが知っているルールのほとんどがヒューから聞いた説明だという点です。
ヒュー自身も研究者ではありません。実際に追われながら、自分の経験から規則性を見つけただけの可能性があります。
| ルール | 作中で分かること |
|---|---|
| 性交渉で標的が移る | ヒューからジェイ、ジェイからグレッグへ移ったと考えられる |
| 標的が死ぬと戻る | グレッグ死亡後にジェイが再び追われる |
| 歩いて追ってくる | 走らないが止まらず、距離を取っても追跡を続ける |
| さまざまな姿になる | 男女や老人、身近な人物など姿を変えて現れる |
| 基本的に感染者だけが見える | 周囲の人物には姿が見えない |
| 物理的な接触が可能 | 扉を壊す、物を投げるなど現実へ干渉する |
| 銃撃で傷つく | 撃たれると倒れ、血も流している |
| 完全な倒し方は不明 | プール後も死亡したとは確認されない |
性交渉で標的が移る
「それ」のもっとも特徴的なルールが、性交渉によって次の人物へ標的が移ることです。
ただし「感染」という言葉を使っていますが、病気のように身体から何かが消えるわけではありません。
誰かへ移したとしても、その人が殺されれば戻ってきます。
つまり性行為は治療ではなく、「それ」と自分の間に別の人を置く行為に近いわけです。
殺されると前の人物へ戻る
この仕組みが本作をさらに怖くしています。
仮に10人先まで感染を広げられたとしても、その10人が順番に殺されれば、いつか自分へ戻ってくる可能性があります。
だから「一度誰かへ移せば助かる」という単純な話ではありません。
グレッグの死後に再びジェイが追われる展開は、この恐怖を分かりやすく見せています。
歩き続けて決して止まらない
「それ」は走りません。
全力で逃げれば簡単に距離を取れます。
それなのに怖い。
理由は単純で、「それ」には休む必要がないからでしょう。
人間は眠ります。食事も必要です。いつか立ち止まらなければなりません。
一方、「それ」はどれだけ遠く離れても、ただ歩いて追ってきます。
今日逃げても明日がある。明日逃げても、その次の日がある。
この終わりのなさが、普通の怪物とは違う不気味さになっています。
人間の姿へ自由に変わる
「それ」は老人、若い女性、裸の人物、身近な家族など、さまざまな姿で現れます。
その目的についても説明はありません。
ただ、相手が知っている人物へ変われば警戒心を鈍らせられますし、逆にショックを与える姿を選べば精神的に追い込むこともできます。
ヒューは、「それ」が相手を傷つけるために身近な人の姿を選ぶことがあると考えていました。
ここにも、「それ」が単純な猛獣とは違う知性を持っているような怖さがあります。
怪異「それ」の正体を考察
では結局、「それ」とは何なのでしょうか。
映画は答えを出しません。
だから幽霊、悪魔、性感染症など、どれか一つへ決めつけるより、作品の中で繰り返される要素を重ねて考える方がしっくりきます。
幽霊や悪魔とは断定できない
最初に押さえたいのは、「それ」が幽霊や悪魔だと映画内で説明されたことはないという点です。
人間の姿へ変身し、普通の人には見えず、常識外れの力を持っている。そのため超自然的な存在なのは間違いなさそうです。
一方で、銃撃を受けると倒れ、血も流します。
完全な霊体とも言いにくい存在です。
つまり「それ」が何という種類の怪物なのかを分類しようとしても、映画だけでは答えにたどり着けません。
性感染症を連想させる存在
性行為で別の相手へ移っていく設定から、性感染症を連想するのは自然です。
自分が関係を持った相手だけでなく、その人が過去に誰と関係を持っていたのかまで影響してくる。
この見えない連鎖は、確かに性的な関係が持つ不安を連想させます。
ただし「それ=性感染症」と完全に置き換えると説明できない部分もあります。
通常の感染症は、別の人へ感染させれば自分から消えるわけではありません。
そのため私は、性感染症そのものというより、性によって他人とつながることへの恐怖や、相手の過去まで背負う不安を膨らませた存在と見る方が自然だと思います。
死を形にした存在
もう一つ分かりやすい考察が、「それ=死」です。
死は突然走って追いかけてくるわけではありません。
普段は遠くにあるように感じます。
しかし、どれだけ遠くへ逃げても、人間である以上は完全に逃げ切れません。
「それ」も同じです。
ゆっくり歩く。
止まらない。
距離を取れば一時的に安心できる。
でも、いつかまた近づいてくる。
「それ」が怖いのは速いからではなく、いつか必ず来るから。
この特徴を考えると、死や時間のような「避け続けることはできても、完全には消せないもの」を形にした存在として見ることができます。
トラウマや過去の象徴
「それ」が毎回違う人間の姿になる点を考えると、過去の記憶やトラウマという読み方もできます。
嫌な出来事は、その瞬間が終われば消えるわけではありません。
忘れたと思ったころ、何かをきっかけに思い出します。
しかも本人にしか分からない。
周囲から見れば「もう終わったことでしょう」と思えても、当事者にはずっとついてくる。
感染者だけに見える「それ」の性質は、こうした心の傷ともよく似ています。
大人になる不安も重なる
ジェイたちは子どもではありませんが、完全に大人として自立しているわけでもありません。
恋愛、性、責任、死。
子どものころには遠かった問題が、自分自身の人生へ入ってくる年代です。
ヒューは自分が背負った問題をジェイへ渡す。
ジェイもグレッグへ渡そうとする。
しかし最後には、ジェイとポールが同じ不安を抱えながら隣を歩きます。
誰かへ押しつけて一人だけ逃げるのではなく、避けられないものを共有しながら生きる。その変化まで考えると、本作は若者たちの成長を描いた物語にも見えてきます。
イット・フォローズの最初の女は何者なのか

一通り見た後に気になるのが、冒頭に登場する女性(アニー)とヒューの関係です。
映画は二人の関係を明言していません。そのため、ここからは作中の時系列をもとにした考察になります。
アニーは何から逃げていた
アニーは明らかに「それ」から逃げていたと考えられます。
周囲には何も見えていないのに一人だけ怯え、車を使ってかなり遠くまで移動しているからです。
つまりアニーは少なくとも、「何かが歩いて追ってくる」「距離を取る必要がある」という特徴を理解していたように見えます。
それでも逃げ切れず、翌朝には死亡していました。
ヒューの元恋人だった説
興味深いのは、アニーが死亡したあと、ヒューがすでに「それ」から狙われていることです。
ヒューの説明どおり、標的が殺されると一つ前の人物へ戻るのであれば、こんな流れも考えられます。
ヒューが「それ」に狙われる
↓
アニーへ標的が移る
↓
アニーが殺される
↓
「それ」が再びヒューへ戻る
さらにジェイたちは後に、ヒューが使っていた家で、ヒューと若い女性が写った写真を見つけます。
この女性と冒頭のアニーが同一人物なのではないか、という考察もできます。
ただし、アニーがヒューの元恋人だったと映画内で確定しているわけではありません。
外見や時系列をつないだ一つの仮説として考えるのが適切でしょう。
ヒューがルールを知る理由
この仮説がおもしろいのは、ヒューがなぜ「殺されると一つ前へ戻る」と知っていたのかを説明できることです。
もしヒューからアニーへ標的が移り、アニーが死亡したあとに「それ」が再びヒューの前へ現れたのであれば、ヒュー自身が逆戻りを経験したことになります。
だからジェイへ移したあと、単に逃げるだけではなく、拘束してまで実物を見せたのかもしれません。
自分が経験した失敗を繰り返させないために、「本当に存在する」「軽く考えるな」と理解させようとした。
もちろん、だからといってジェイを意図的に危険へ巻き込んだ行為が正当化されるわけではありません。
それでもヒューを単純な悪人として見るだけではなく、追い詰められた人間として見る余地は生まれます。
プールで「それ」を倒せたのか
映画の結末を考えるうえで最大の分岐点が、プールで「それ」が死んだのかどうかです。
ここが確定しないため、その後のポールの行動や最後の人物についても複数の読み方が生まれます。
完全に死んだ証拠はない
プールでは「それ」が何度も撃たれ、水中へ沈みます。
血も大量に広がっています。
普通の人間なら致命傷でしょう。
しかし、それ以前にも「それ」は銃撃を受けながら再び動いていました。
そもそも、何者なのかも分からない存在です。
人間と同じように頭部を撃てば死ぬという保証もありません。
したがって、プールの場面は「完全撃破」というより、ジェイたちがその場の危機を乗り越えた場面と考える方が安全です。
父親の姿になった意味
プールに現れる「それ」は、中年男性の姿をしています。
映画は名前をはっきり説明しませんが、ジェイがその姿について話したがらない反応などから、亡くなった父親ではないかと考えられています。
もし父親の姿だったなら、かなり残酷な選択です。
「それ」はジェイが知っている人物、それも心を大きく揺さぶる人物の姿を使ったことになります。
だからこそ「それ」の変身能力は、単に姿を変えるだけではなく、標的の記憶や痛みに入り込む力のようにも感じられます。
ポールへの感染と結末

プールのあと、映画は静かな雰囲気へ変わります。
しかし危険が終わったと断言できる場面はありません。
むしろ、その曖昧さを残したままジェイとポールの日常が始まります。
ジェイからポールへ移ったのか
ジェイとポールが関係を持ったと受け取るなら、「それ」の標的はジェイからポールへ移ったことになります。
ここで重要なのは、ポールが以前からジェイへ好意を持っていたことです。
彼は「自分へ移してもいい」と考えているような態度も見せていました。
ヒューやジェイが恐怖から誰かへ標的を押しつけたのとは少し違います。
ポールの場合は、ジェイの危険を自分も引き受けようとしているようにも見えるんですよね。
女性たちへ移したのか
その後、ポールは車で街を走り、路上にいる女性たちを見ます。
この場面から、「ポールが売春婦へ感染を移したのではないか」と考えることもできます。
ただ、映画は実際に関係を持った場面を描いていません。
だから確定はできません。
女性たちへ移すことを考えたものの実行しなかったのかもしれませんし、単に視線を向けただけだった可能性も残ります。
この答えを映さないことで、観客は「自分だったらどうするか」を考えさせられます。
知らない誰かを犠牲にすれば、自分の安全な時間は延びる。
それでも実行できるのか。
怪物以上に嫌な選択です。
ラストの人物は「それ」なのか

『イット・フォローズ』のラストで最も気になるのが、手をつないで歩くジェイとポールの後ろに現れる人物でしょう。
距離を保ちながら、同じ方向へ歩いてきます。
映画は最後まで正体を教えてくれません。
普通の通行人だった可能性
もちろん、普通の通行人という可能性があります。
住宅街なのですから、後ろを人が歩いていても何も不思議ではありません。
もし普通の人なら、プールで「それ」を倒した可能性も残ります。
ジェイとポールは恐怖を乗り越え、ようやく普通の生活へ戻り始めた。
そのような結末として見ることもできます。
まだ追っている可能性
一方で、「それ」がまだ生きていると考えることもできます。
ゆっくり歩く人物。
二人との距離。
そしてプールで死亡したと確認されていないこと。
どれも「それ」だった可能性を消してくれません。
私は、ここで正体をはっきり映さないこと自体が答えなのだと思います。
◆ふくろうのワンポイント
一度『それ』の存在を知ってしまうと、普通の人が歩いているだけでも疑ってしまいます。ラストではジェイだけでなく、観客まで同じ状態にされているんですよね。
誰なのか分からないことが重要
もし最後の人物が明確に「それ」だったら、「怪物はまだ生きていました」という結末になります。
逆に普通の人だと確定すれば、「怪物を倒しました」で終われます。
しかし映画はどちらにも決めません。
その結果、ジェイたちはこの先も、遠くから歩いてくる人を見るたびに確認しなければなりません。
普通の人かもしれない。
でも「それ」かもしれない。
怪物そのものより、「また来るかもしれない」という意識が残ってしまったこと。
それこそがラストに残された恐怖ではないでしょうか。
二人で歩くラストの意味
最後の人物が「それ」かどうか以上に注目したいのが、ジェイとポールの行動です。
二人は手をつないで歩いています。
少なくとも、後ろの人物を見て慌てて走り出すことはありません。
恐怖が消えた結末ではない
『イット・フォローズ』のラストは、「怪物を倒したので安心」というハッピーエンドには見えません。
プールで殺せた保証はありません。
ポールが別の人物へ標的を移したのかも分かりません。
最後の人物の正体も不明です。
つまり、不安材料は何も解決していないとも言えます。
恐怖と一緒に生きる結末
それでも、映画の最初と最後ではジェイの姿が違います。
最初は一人で逃げ、眠ることさえできず、常に周囲を確認していました。
最後はポールと並んで歩いています。
「それ」が消えたからではなく、消えないかもしれない恐怖を一人で背負わなくなったと考えると、この場面がかなり違って見えてきます。
人生には、完全に取り除けない不安があります。
死もそうです。
過去の記憶もそうでしょう。
誰かを愛することで生まれる傷や責任も、最初から避け続けることはできません。
だからラストは、「恐怖を克服した」というより、恐怖が残っていても誰かと歩いていくことを選んだ結末なのだと思います。
死の象徴説ともつながる
「それ=死」と考えると、最後の場面はさらに分かりやすくなります。
人は死から逃げ切れません。
どれだけ安全に暮らしても、どれだけ遠くへ逃げても、いつかは追いつかれます。
しかし、死ぬことが分かっているからといって、ずっと逃げ続けるだけの人生にする必要はありません。
恋愛をする。
誰かと手をつなぐ。
今日を普通に歩く。
背後に「それ」がいるかもしれなくても。
この読み方をすると、『イット・フォローズ』というタイトルそのものがかなり意味深です。
「それ」はついてくる。
そして、おそらく完全には消えない。
それでも人は歩いていくのです。
原作小説はあるのか
『イット・フォローズ』の怪異に説明が少ないため、「原作小説なら正体が分かるのでは?」と思った方もいるかもしれません。
原作なしのオリジナル映画
『イット・フォローズ』には、物語の元になった原作小説はありません。
デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督が脚本を手がけたオリジナル作品です。
そのため「原作では怪異の正体が明かされている」「小説では別の結末がある」という作品ではありません。
監督の発想には、子どものころに見たという、人間の姿をした何者かがゆっくり追ってくる悪夢が関係しています。
だからこそ「それ」には細かな生態や歴史が与えられていないのでしょう。
悪夢の中で追いかけてくる存在について、「どこで生まれたのか」「なぜ自分を追っているのか」まで説明されることはありません。
ただ、来る。
その説明のなさが怖いわけです。
同じように正体やルールを考えるタイプのホラーが好きな方は、『スマイル2』の怪異と結末の考察もあわせて読むと、怪異の描き方の違いを楽しめます。
また、正体をすべて説明しないことで日常そのものを不気味に見せる作品としては、映画『ビバリウム』の少年とラストの考察も近い面白さがあります。
イット・フォローズの疑問
最後に、『イット・フォローズ』を観たあとに残りやすい疑問をまとめます。
イット・フォローズのよくある質問(FAQ)
Q1. 『イット・フォローズ』の「それ」の正体は何ですか?
A. 映画では正体は明かされません。性感染症、死、過去のトラウマ、大人になる不安などを象徴する存在として考察できますが、どれか一つが公式の答えとして提示されているわけではありません。怪物の種類より、どこまでも追ってくる性質そのものが重要だと考えられます。
Q2. 冒頭の女性アニーはヒューの恋人だったのですか?
A. 映画では明言されていません。ただしアニーの死後にヒューが「それ」から追われていることや、ヒューと若い女性が写った写真などから、アニーがヒューから標的を移された元恋人だったのではないかという考察はできます。あくまで作中の描写をつないだ仮説です。
Q3. プールで「それ」は死んだのですか?
A. 完全に死亡したとは確認されていません。銃撃によって水中へ沈み、血も流しますが、「それ」はそれ以前にも銃撃から再び動いています。ラストで二人の後ろを歩く人物の存在まで考えると、生きている可能性は残されています。
Q4. ポールは女性へ感染を移したのですか?
A. 映画では分かりません。ポールが路上の女性たちを見る場面はありますが、実際に関係を持つ場面は描かれません。誰かへ移した可能性と、移さずにジェイと危険を共有した可能性の両方が残されています。
Q5. ラストで後ろを歩く人物は「それ」ですか?
A. 正体は明かされません。「それ」だった可能性も、普通の通行人だった可能性もあります。重要なのは、観客自身が普通の通行人まで「それかもしれない」と疑う状態になっていることです。怪異が生きているかどうか分からない不安そのものが、ラストの恐怖になっています。
イット・フォローズまとめ
『イット・フォローズ』は、性交渉によって標的が移り、怪異「それ」がゆっくり追い続けてくるホラー映画です。
- 「それ」は性交渉によって次の人物へ標的を移す
- 新しい標的が死亡すると一つ前の人物へ戻る
- 「それ」の起源や正体は最後まで明かされない
- 性感染症、死、トラウマ、成長への不安など複数の意味を重ねられる
- 冒頭のアニーとヒューの関係は確定していない
- プールで「それ」が完全に死んだ証拠はない
- ポールが別の女性へ標的を移したかどうかも不明
- ラストの人物が「それ」なのか普通の人なのかも確定しない
私は、「それ」を一つの答えに決める必要はないと思っています。
性感染症を連想させる部分もある。
過去のトラウマにも見える。
大人になることへの不安とも重なる。
そして何より、どれだけ逃げてもいつか追いついてくるという性質は、死そのものによく似ています。
だから『イット・フォローズ』の結末で重要なのは、怪物を完全に倒したかどうかではありません。
ジェイとポールの後ろには、まだ何かがいるかもしれない。
それでも二人は手をつないで歩いています。
恐怖そのものを消すことはできなくても、恐怖を抱えながら誰かと生きていくことはできる。
そう考えると、最後に歩いてくる人物が「それ」なのか普通の人なのかは、あえて答えを出さない方がいいのでしょう。
一度「それ」を知った私たちは、もう普通の通行人さえ以前と同じようには見られません。
映画が終わっても、「それ」は観客の頭の中までついてくる。
『イット・フォローズ』というタイトルに、これ以上ふさわしい終わり方はないのかもしれません。